その後の聖なる約束
東京で、英霊にこたえる会の第41回総会があり、縁あって表彰していただきました。
戦後GHQは遺骨を遺族に渡すことさえ認めず、海に散骨するという厳しい方針を出していましたが、その理不尽さに憤慨した弁護士たちが命がけで持ち出し、当初は熱海の興亜観音に祀っていました。しかし、1960年(昭和35年)の安保闘争の時に過激派に爆破されるという事件が起こり、いろいろな経緯があってその年にこの三河の地に祀られることになったそうです。
私は赤塚さんとの共著『聖なる約束』の中で、戦後の日本人は戦争責任をA級戦犯の人たちに全部押し付けて、戦前の社会を否定することでうまくやってきたが、そのひずみが限界に来ており、私たち自身がそれぞれの戦争責任をとらなければいけないのではないかということを書きました。実質的に今回の講演会を主催してくれたにんげんクラブ愛知の橋本一巳さんがそれを読んで殉国七士廟の存在を調べてくれたのです。
赤塚さんは殉国七士廟の存在は知っていて一度行ってみたいと思っていたそうで、ご案内をしてくださった殉国七士廟の案内をボランティアでやっておられる伊藤弘さんのお話を熱心に聞いておられました。赤塚さんは『聖なる約束』で紹介されているパラオのペリリュー島への天皇皇后両陛下ご訪問時に、パラオまで行って来たばかりです。陛下のご慰問を喜ばれて天に帰って行かれたに違いない英霊たちに、日本を守るために命がけで戦ってくださったことに対する感謝の気持ちをどうしても伝えに行きたかったのだと私は感じてい
ます。そして、三ヶ根山に祀られている英霊たちに対しても同様の深い感謝の気持ちをお伝えされていたようです。
今年は戦後70年です。出典を忘れてしまったのですが、日本は80年前と同じ歴史を繰り返しているのではないかという意見を言っていた識者がいました。
もしそれが当たっているならあと6年で大戦争に巻き込まれ、10年で焼け野原にならなければいけない運命が待っているのかもしれません。
でも、未来を創るのは私たちの意識であるということをにんげんクラブの皆様は知っています。しっかりと過去の現実を直視していくことからはじめて、みんながいまよりも助けあいながら幸せに生きられる世の中を私たち自身の手で創っていかなければならないのではないかと強く感じています。
イスラエルに行ったのが1年前、そして『聖なる約束』を出版してからもうすぐ半年、赤塚さんの講演はたったそれだけの時間しか経っていないのかと感じ
るほど、深いものになっていました。古事記が日本の旧約聖書だとすると、私たちはいま新約聖書に当たる神話を創らなければならないのかもしれないという問題意識で『聖なる約束』を書いたと赤塚さんは話しました。
赤塚さんや私はもちろん救世主ではありませんが、救世主の大本であるこの世を創った存在であるサムシング・グレートの意を受けて、それを広げていくための努力をすることを誓い合った盟友です。赤塚さんは聖書を作り上げて行くための活動をするときは私心がありません。だから赤塚さんの話は人の心を打つのです。
ゴールデンウィークに、また赤塚さんや今野華都子先生、それに滝沢泰平さんなど豪華なメンバーと一緒にイスラエルを再訪してきます。今回の旅行のきっかけは白鳥哲監督がイスラエルと日本のことを撮りたいと赤塚さんに言ったことだったそうです。だから、もちろん白鳥監督も参加されます。
「不食」「祈り」「蘇生」の次は一体どんなテーマでイスラエルを紹介してくれるのか、ワクワクしてきます。
白鳥監督の最新作「蘇生」は原発問題にも意欲的に取り組んだ私たちが未来を創るために考えていかなければいけない重要なテーマを扱っています。
もうしばらく東京、名古屋、大阪で上映をされるようですので、ぜひ見逃さないようにご覧ください。
話を戻すと、良い世の中を創るためには、いまは具体的な人物としての救世主の出現を待つのとは違う方法もあるのかもしれないと感じています。どういう未来がやってくるのか分かりませんので、断定してはいけませんが、少なくとも
救世主の出現を期待するのではなく、救世主がもたらしてくれると期待しているすばらしい世の中のあり方を私たち一人ひとりが自分たちの力で協力して創り上げていく覚悟が必要なのだと感じています。そんなことを感じて考えるイスラエルの旅を楽しんできたいと思います。」