福岡講演会
2015.06.09
14日は福岡講演会が開催されます。
ブログを読んでくださり、本を読んでくださり、講演会に足を運んでくださった、
普通の主婦が生まれて初めて講演会を開催してくださる。
今年の始まりは、長崎。
愛媛、青森と普通の主婦が100人単位のお客様を集めてくださいました。
今週末の福岡も普通の主婦による、普通の人たちの講演会なのです。
それがどれほど尊いことか、私には身に沁みてわかります。
13年前、自分が生まれた国の建国の歴史を何も知らされていないという事実に気づかされ、
神話に触れ、神話を訪ねる旅が始まったのでした。
天孫降臨の地、高千穂では、霧島神宮を鹿児島側から登り、
逆鉾を見た後、霧島を縦走、宮崎側まで歩きました。
途中大雨にやられ、びしょ濡れになり、死ぬほど寒かったのもいい思い出です。
宮崎、美々津から神武天皇がお船出された港にも行きました。
神武天皇が上陸されて、道なき道を歩まれた熊野。
天の神様に魂の底から祈り、聖霊をうけた神倉山のゴトビキ岩。
その岩に手を置いてみると、いまでも神武天皇の建国への熱い思いが伝わってくるようです。
長髄彦との決戦を終え、建国宣言をした奈良は橿原。
神武天皇の御陵には何度も行き、祈りを捧げてきました。
私はこれまで、13度イスラエルに行き、聖書を足の裏で読んできました。
聖書の書かれた現場で、その場面を読むとき、文と文の間、文字と文字との隙間に、
風景が立ち上がってくるのです。
すると、聖書が私に語りかけてきます。
聖書を書かされた人物の念いが、ありありと伝わってくるのです。
聖書とは、聖なる霊の結晶です。
だから、霊感で読まなければ決してわかりません。
その聖なる霊こそ、私たちがこの世を生きてゆくために何よりも大切な神の恵みなのです。
今回私は、日本で生まれ日本で生き日本で死ぬことを選択してこの世にやってきました。
にもかかわらず、42歳まで祖国の歴史を奪われた「日本人もどき」であったことを知らされ、猛烈なショックを受けたのです。
せめて死ぬときは、日本人として死にたいというのがいまの私の願いです。
国連加盟国193ヶ国の中で、たった一ヶ国、祖国の建国について教えない建国以来2675年の歴史をもつ日本。
ユダヤの友人が私にこう言いました。
「祖国の歴史を失った国は滅びる。例外なく」と。
皇室の祖先、天照大神を祀る伊勢神宮のお膝元に生まれ育ちながら、伊勢の意義も教えられなかった私は、
42歳から日本人になるための生き直しをしているのです。
失われた歴史の学び直しをしているのです。
ほんのちょっとだけ先を歩いた分、その景色をお伝えしてきました。
イスラエルでのガイドと同じような気持ちでしょうか。
すごいんだよ〜って!
博多の主催も、普通の主婦が生まれて初めての講演会を開催してくださいます。
その思いが人を動かし、心開き、やまとこころのキャンドルサービスとなるのです。
恒例になったセミナーの講師として、背広を着飾った人たちに私は話に行きません。
「いい話をしてくれてありがとうございます」という人たちは、永遠にいい話を求め続けて、座ったまま年老いてゆくのでしょう。
ひとりかわる、みなかわる。
世界が変わるのは、ひとりが変わること。
だから、いつも命燃やして話をさせていただきます。
初めてやまとこころの講演をしてからどれくらい経ったのでしょう。
どれだけの人の前で話してきたでしょう。
福岡に行くと告知したら、福岡にお住いの方からメールをいただき少し仕事の相談があると。
前日に伺うことにしました。
その方が宿を取ってくださって、案内をいただきました。
創業慶応元年、老舗の宿で、私が泊めていただく部屋は、昭和天皇がお泊りになった部屋だそうです。
我が主、キリストと同じ魂の次元の昭和天皇がお休みになった部屋で一晩過ごさせて頂けますご縁。
そこで受けたエネルギーを携え、博多講演に向かいます。
西の国の魂の兄弟姉妹、どうぞ集まってください。