冒険する心
都会は刺激的で、面白いから時々出かけていろんなこと吸収したいと思っていました。
ところが、人工的な風景の中で言い知れぬ疲れを覚えるようになっています。
人工物による刺激は、音にせよ光にせよ限られた周波数の中で、知らず知らずのうちに脳を疲れさせてしまうようです。
ただ、そこに誰がいて、だれに会うか、人と出会うことはたとえそこがどこであろうと心に風が吹く旅だと思えます
福岡では、実に多くの人たちと会いました。
みんな普通の人たちです。
そんな普通の人が、熱い思いに背中を押されて講演会を開催してくださいます。
会場の手配もしたことのない主婦が、仲間を集めて口伝えでチケットを売って、私の交通費や宿代や講演料までも差し出してくださいます。
昨日は、講演会の前の主催者挨拶を聞いていて、胸がいっぱいになりました。
ああ、この人の思いが私を語らせるのだなぁ。
泣いたり、笑ったり、笑いながら泣いたり、心がたくさん動きました。
そこにエネルギーが立ち上がります。
懇親会も、熱い交わりの場となりました。
話をさせていただくたびに、一番の学びをいただくのが私でしょう。
語るときに大事なことは、何を話すか以上に、どんなエネルギーが届いているかを意識していることしょう。
こんなふうに日本がいい国になったらいい・・・と言うときに、怒りでなく希望が伝わらなければいけない。
暖かなものが伝わっているだろうか、と意識的にいなければならないと思うのです。
無自覚、無意識に否定的な感情が湧き上がってはいないだろうか。
自然の中に自分を置いて、感覚を取り戻すのはとても大切になことですね。
朝、海で浴びる太陽の光、頬を撫でる柔らかな風、裸足で歩く砂浜の感触、すべてが五感に訴えてきます。
人間が、この地上に生きる生命体であることを思い出させてくれます。
私は、このことを忘れずにいたいのです。
映画や音楽など、人工的な娯楽も大好きです。
だからこそ、人工物で疲れた脳を自然の中で癒すことを意識する必要があると思えます。
海辺で目を閉じてみると、視覚という膨大な情報源を止めて聞こえてくる音、潮の匂い、吹く風の感触、感覚が蘇ってきます。
私たちが「いきもの」であることを思い出させてくれる瞬間です。
それが、生きる活力を生み出すと言ってもいいでしょうか。
先日、信州でデミチまさあきと舩井勝仁さんの3人で飲んでた時のこと。
伊予西条の近藤さんから、7月に30時間バーチャル・イスラエルツアーセミナーを開催したいとオファーがありました。
だったら、どこかライブハウスを貸し切って、バンドの演奏もしようよと盛り上がったわけです。
西田塾アホ会のオープニングで演奏したのもずいぶん前のことです。
日頃ギターも触っていないので、曲もすっかり忘れてしまっています。
それでも、ステージに立とう、演奏もしよう、歌も歌おう、と思います。
歳をとるということは、新しいことをやりたくなくなることでもあるようです。
だからこそ、新しいことに挑まなければなりません。
冒険する心を失う時、人は衰えてゆきますから。
冒険する、わくわくする
そんな自分が大好きになって、自分を愛するとき
きっと、人を愛することができるのでしょう。
「己を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」
イエスの言葉は、不変です。
そして、冒険こそ生きている証です。
冒険者は、いつか本当の愛を知り、イエスの愛を知るのです。