情報という名のノイズ
2015.07.27
住宅の打ち合わせ現場で、最近驚かされるのは、お施主様の知識のすごさです。
ひとつひとつの部材まで、インターネットで調べられるのでしょうか、とにかく詳しい。
そして、それらのことを批判したり検証されるサイトもあるようで、
質問も細かく、びっくりしますね。
ところが、それらのどれひとつ手に取ったこともなければ、もちろん使ったこともない。
ヴァーチャルの世界で対話したことと、現実とがごちゃまぜになっているようにも思えます。
「木を見て、森を見ない」
ということわざの通り、一番大事な大局観を持たなければ、どこに行っていいのかわからなくなってしまうでしょう。
これは、私自身への戒めでもあります。
「何のために これをしなければならないのか」
ブレてはならないこと、きちんと背骨として認識していなければなりません。
まわりの人がこう言うから。
親がこう言うから。
情報過多のお施主様の多くが、いざとなると誰かの意見にすがってゆきます。
本来すがるべき相手は、プロである私たちであるはずなのに、自分の頭を拠り所とされるようです。
私の経験上、こういうケースでは決断して行動するのは容易ではありません。
もっとも大事なことは、真っ暗闇の中へ一歩踏み出すことですね。
JAMPすることですね。
だれも賛同者がいなくても、飛び出すことですね。
真っ暗闇だと思っていても、しばらくすると目が慣れてきて見え始めます。
新しい風景が。
しかも、そこに新しい仲間がいる。
情報という名のノイズの中で、「本当のこと」を知り、
それに気づいたら、一歩踏み出す。
いつも、いつのときも そんなシンプルなことを歩き出すのは少数の人たち。
アンテナを立てることの大切さと、
私は、だれがそのニュースを伝えてくれたかが判断基準です。
この人の話なら聞く。
でも、どんなよさそうな話でも、魂の兄弟からのメッセージ以外は今は聞いているヒマがありませんからごめんなさい。
とりわけ、スピリチュアルな話はもう聞きません。
その時間があれば、庭の草刈りをしなければならないのです。
心の中の雑草も生えてきてしまいます。
余計なことはしてもいいけど、余計なものは持たないほうがいいですね、やっぱり。