知事に会いに行きます
2015.08.10
友人に紹介してもらって、知事に会いに行きます。
クロフネ・カンパニーの中村文昭さんと一緒に行きます。
文昭さんは、以前から知事と兄弟付き合いしているそうですから、
もう一気に突っ込んだ話になりそうです。
13:55知事室に行きますので、祈っていてくださいね
来年の5月26・27日、伊勢志摩サミット。
政治的なこと、大事です。
経済効果も大切です。
でも、伊勢が選ばれたのは天上界からの強制だと、私は思っています。
世界の人たちには、神道は宗教ではないと思われています。
イスラエルに行くと、必ずお前の宗教は何か?と聞かれます。
「ブッディスト(仏教徒)」だと答えるようにしているのは、
神道は、教祖も教義も経典もないので、宗教とみなされないのです。
でも、日本は紛れもない神道の国です。
天照大神の子孫である天皇の誕生日は、祭日として休みです。
お釈迦さまの誕生日も、イエス・キリストの誕生日も休日ではありません。
ずいぶん前のことになりますが、イスラエルから来られた大学の教授を伊勢神宮にお連れしました。
ユダヤ教のラビでもあるその教授は、京都のお寺は行きません。
仏像は偶像崇拝を意味するからです。
ユダヤ教の戒律では、偶像崇拝をきつく戒めています。
本来、イエスはユダヤ教徒であり、聖書の中でも「律法で守らなくても良いものはひとつとしてない」と
戒めの大切さを説いています。
キリスト教の教会に入ると、いたるところに像があります。
イエスの嫌がることをするのが、キリスト教だとしたら、変な話ですね。
愛を説いたイエス、ペテロに剣を持つものは剣によって滅ぶと叱ったのに、人類史上最も多くの人殺しをしたのがキリスト教だというのもおかしな話です。
話を元に戻しましょう、
伊勢神宮を案内して、つたない英語で少しばかり説明をして歩きました。
御正宮をお参りした後、ラビでもある教授は涙ぐんでこう言いました。
「私は、日本には宗教がないと聞いていた。
日本人には信仰心がわからないのだと思っていた。
しかし、それが大きな間違いであることがわかった。
私たちのエルサレムの神殿は、ローマ軍に破壊されたときから廃墟と化した。
発掘された西の壁(嘆きの壁)で神殿の復活を祈っている。
しかし、この伊勢の宮は2000年もの間祈り続けられている生きた宮だ。
これほどの信仰が日本にあるとは・・
これは本物の信仰だ」
宗教という枠組みを超越した、教義も、経典も、教祖もない祈りの世界。
かんながらの道、神道。
宗教戦争をしない民族が、世界の手本になり、新しい世界を導いて行くときがきたようです。
「すべての宗教が手をつなぎ合いますように」
伊勢のサミットは、霊の息吹を感じるものとならなければなりません。
言葉にしなければわからない白人社会と、言挙げせずとも天の願いを魂で感じるヤマト人の霊的接触。
伊勢の風が世界に吹き渡り、それが平和の風となってゆきますように。
三重県知事にやまとこころのキャンドルサービス、行ってきます。