生まれてきておめでとう!
マルコ伝12章にこう書かれています。
ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、
「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。
イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、
『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
第二はこれである、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。
教会に行ったことがありませんので、キリスト教の集会がどんなものかは知りませんが、
聖書は一所懸命読みます。
マルコという弟子は、医者だったそうでとても知的に書かれた福音書です。
イエスが直接自分で書いたものではないので、弟子たちの感情が反映され、とても味わい深いのが聖書です。
そもそも、イエスは聖書を使って話をしたのではありません。
イエスが天に帰ってから、弟子たちが記したものですから。
イエスは、教会で説教したわけではありません。
イエスが死んだあと、出来たのがキリスト教ですから。
教団や教派や・・・宗教を始めようとしたわけではないのです、イエスは。
『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』
これより大事な戒めはない、とイエスが言うのですから
聖書の教えの集大成の言葉なのでしょう。
これを、
『如己愛人』という言葉で表し、生涯の座右の銘にしたのが長崎の永井隆博士でした。
「自分を愛する」
これが人生の目的なのでしょうね。
自分がこの世に生まれてきた意味がわかったとき、
この身をつかっていただくことの有難さに、手を合わせることができるのでしょう。
わが師、糸川英夫は、
「命は自分のために使うものではありません。
誰かのために使うのが、自分の命なのです」といつも話してくださいました。
自分を幸せにしようとして、幸せになった人は一人もいません。
44兆円の資産を持つビルゲイツも鬱で悩んでいます。
富と幸せとは違うものだからです。
大きいことはいいこと、ではありません。
大きいことは、大きいこと。
いいことは、いいこと。
違うことです。
自分を愛するということは、
自分とは、この広い宇宙でたったひとつのユニークな存在であると認めることでしょうか。
そこからすべては始まるように思えます。
神様からみれば、人間はすべて神様の子供。
神様を求める宗教同士が戦い、殺し合う世界の愚かさを永遠の忍耐力をもってみつめておられる。
本当は、宗教なんていらないのです。
資本主義も、共産主義も、あらゆる主義も。
さあ、まず 自分にひと声かけましょう
「生まれてきて、おめでとう。 生きててよかったなぁ」って
やがて死んでしまうのですから。