エネルギーという視座
東京での講演会は、素晴らしいひとときでした。
イスラエルのバラさんと光田兄、魂の交わりから生まれる言葉の数々がキリストの臨在を伝えます。
キリストイエスの降臨。
宗教を超えて、キリスト教の世界をはるかに超えて、
光の場となりました。
バラさんの話し、いまも心に響いています。
東京の朝は雨。
三重にもどります。
さて、この頃、突然会社を訪ねてくださる方が、増えていて嬉しく思います。
留守中にお越しいただく方もありますが、タイミングも約束の一つなのかも知れません。
花に蝶が集まるように、そこに光や魅力がなければ何も集まってはくれません。
人が集まる場、そこにあるのは実は「エネルギー」なのです。
無意識のうちに、「エネルギー」を求めて人は動いているのです。
それを、意識的に生きるとき、全く違う次元の人生が出現することを私は体感しています。
「先立つものが無ければ...」と言う時、私たちはお金のことばかり思っていますね。
ところが本当に先立つものとは「エネルギー」であり、これが無ければ何も生まれてこないのです。
お金も実は、エネルギーなのです。
それほどまでに大切なエネルギーですが、私たちはそれほど大切にしていないし、意識することさえないのです。
本来であれば、自分自身の人生を切り開く力を持ち、創造的な活動の源となるのはエネルギーなのです。
ところが、それが日常の中で、無意識のうちに、様々な形で浪費されています。
エネルギーじゃじゃ漏れ・・・・私はそのように表現します。
だれもが、溢れるほどのエネルギーを持っています。
ただ、それを生きているかどうかは全く別の話であり、これこそが課題なのです。
考えてみましょう。
私たちの体を形成している60兆個の細胞。
この一つ一つが、休むことなく、24時間365日、イキイキと活動しています。
ところがそれが集まって「私」となった途端に、思考と感情の浮き沈みに捕らわれ、本来のイキイキさは失われるのです。
細胞レベルではこんなにエネルギーが溢れているのに、エネルギーのない細胞など一つもないのに、
その集合体である「私」にはエネルギーが感じられない。
さて、一体どっちが本当なのでしょうか?
私たちが普段感じている自分のエネルギーが、エネルギーの全てではないのです。
じゃじゃ漏れしていたエネルギーを取り戻すだけでも、日々の生活が変わっていくのです。
更に、多くのエネルギーがまだ、生きられることなく無意識の底に眠っているのです
ただ、一言でエネルギーとは言うものの、
私たちはその中身をよく見ていかなければなりません。
大きく分けてエネルギーには二種類あるからです。
一つが、自分や周りの人を「コントロール」するエネルギーであり、
もう一つが、自分や周りの人を「エンパワー」するエネルギーです。
コントロールするエネルギーは、エネルギーを生み出すことはありません。
ただ、周りのエネルギーを支配するだけです。
しかし、エンパワーするエネルギーは、新たにエネルギーを生み出します。
一人一人が、今まで無意識の中に眠らせていたエネルギーを生き始めるので、
エネルギーの総量が上がってきます。
目が輝き始めた、イキイキし始めた、全体の空気が良くなってきたなどの表現は、
いずれもエネルギーの総量が上がってきたことを表しています。
もし私たちが表面上の結果だけを追い求めているのであれば、大切なものを見落としてしまうでしょう。
なぜなら、コントロールするエネルギーも、時に立派な結果を生み出すからです。
しかし、そのようにして達成された結果は、誰もエンパワーしませんし、また持続していかないのです。
私たちは、結果だけではなく、エネルギーの視座から物事を見る力をつける必要があります。
結局のところ、大切なのは自分のエネルギーを生きることです。
そして、周りをエンパワーすることです。
そのようにして、自分を取り巻くエネルギーの総量を上げるのです。
智恵も力も、このエネルギーの中から生まれてきます。
そのように生きられる人は幸せです。
なぜなら、幸せとは、自分を取り巻くエネルギーの総量が大きいことだからです。
「自分を愛するように隣人を愛せよ」とイエスは言いました。
まず、自分自身のエネルギーを取り戻すことです。
そして、自分を取り巻くエネルギーの総量が大きくなれば、当然のごとく隣人にエネルギーを与えることができます。
他人をコントロールして、エネルギーを奪おうとしている人があまりにも多すぎます。
親が子供を支配するのも、実は無意識に、子供からエネルギーを奪おうとしていることに気づかなければならないでしょう。
奪われた子供は、また誰かから奪います。
この連鎖が「いじめ」となります。
無条件、無差別、無制限、そして一方的に注がれる創造主のエネルギーにつながりましょう。
神からのエネルギーの受け取り方の秘密を明らかにしてくれているのが「聖書」です。
宗教を超えて、学びましょう。
せっかくこの世に生まれてきたのですから。
金曜日はメルマガ発信の日です。今日のメルマガ、エネルギーのカタマリ、我が兄弟、出路雅明さんのお話です。
ブログには書けないけれど、メチャおもしろいです。