闇は、光に勝てないのです。
心は見えませんね。
肉体は見えます。
だから、指を切ると血が出て、傷が見えるから、治るのも見えます。
でも、心の傷から血が出ても見えません。
傷も見えないから、治るのも見えません
それでもやっぱり、心はあるし、
精神安定剤を飲むと落ち着いたり、お酒を飲むと楽になったりするから、
傷にオロナインH軟膏を塗るみたいに効くのでしょう。
そんな心の研究をしたユングという心理学者がいて、
見えない世界を見える世界にあらわしてくれました。
そして、それを「エネルギー」という視座で見据えるのです。
この学びが、わたしにとって大きな財産となっています。
岩田先生は、こんなふうに教えてくださいました。
「私たちは自分自身について、二つのことを知りません。
一つは、自分自身の中にどれほどのエネルギーがあるのか。
もう一つは、そのエネルギーをどれほどブロックしているかです。
普段私たちが「自分とはこんなもんだ」と思っている自分は、
本当の自分ではないと言えるでしょう。
自分の中に眠っている可能性、知恵、創造性、力、
強さ、喜び、願い、豊かさ、愛を知らずして、
自分のことがわかっていると言えるでしょうか?
ただ、このように言われたからと言って、
「ああ、そうですね。今気づきました!
自分の中に眠っていた可能性に!」
と簡単にはわからないのが悩ましいところです。
まずは、エネルギーをブロックしているものを知る
──これが私たちお勧めの方法です。
結論から言いますと、
私たちの無意識には犠牲者、子供、売春婦(夫)、
つぶし屋という四つの元型が存在しており、
日常生活のさまざまな場面で私たちの思考と感情を乗っ取っています。
例えば、
?「仕事なので一応ハイと答えているが、
腹落ちせずにやらされ感でいっぱい」(犠牲者)
?「放っといて。私は私や。注意されるとすぐにムクれる」(子供)
?「数字の結果が全て。仕事の喜びを見失い目標を追うことに疲れる」(売春婦)
?「心の中で既にあきらめている。どうせ言ったって無理。どうせ変わらない。
どうせダメなんだ。どうせ...」(つぶし屋)
というように。
いままで何気なく感じていたことを、
「あ、今元型に乗っ取られている!」と気づく力をつけることで、
少しずつ元型によってブロックされていたエネルギーが解放されていきます。
大切なのは、元型という言葉や概念を知ることではありません。
それを自分の中に見つめる「力」をつけることです。
元型の名付け親でもある心理学者のカール・グスタフ・ユングは、
次のように語っています。
『必要なのは無意識内容の意識化なのである。
われわれの行為のうちに現に流入しつつある無意識を意識化することであって、
それによって、無意識に知らずしらずのうちに左右されたり、
そのため望ましくない結果をきたしたりすることが防げるのである。』
自分の中に元型が存在することは何の問題もありません。
問題はそれに無意識なことです。
すべての悩みの理由はあなたの内側にある
私たちは自分に都合の悪いことは見ないようにします。
残念ながら、これが変化を遅らせています。
それを見ること、そしてそれが自分ではないと知ること、
これを日常現場の中でトレーニングしていくのです。
元型とは、人間ならば誰もが持っている傾向性です。
犠牲者は「許せない」と言い、
子供は「納得できない」と言う。
売春婦は「生きていくには仕方がない」と言い、
つぶし屋は「出来ない理由」を言う。
いずれも、国籍、性別、年齢に関係なく存在している普遍的なパターンです。
これらは傾向性であって、あなたではなく、あなたの性格でもありません。
言うならば人類に蓄積されてきた過去の記憶のようなものです。
私たちが人間関係で悩む時、
経済のことで悩む時、
自分自身を悩む時、
表面的には様々な原因があるように思えます。
しかしながら、根っこでは元型が影を落としてしているのです。
問題は外側にあるように見えるかもしれません。
しかし、本当の課題は内側にあるのです。
私たちが日常で出会う様々な問題を、
元型的な視座から見つめてみることは、
今までになかった力を私たちに与えてくれます。
自分のエネルギーをブロックしているものの正体を見つめること。
この小さな積み重ねが、
やがて大きな変容へと繋がっていくのです。」
56歳の私ですが、地球誕生以来46億年の情報をDNAに書き込まれています。
ですから、私の心の年齢は46億年+56歳なのです。
「私」という自分勝手に作り上げた錯覚が、自分を苦しめます。
そんなとき、ふっと、意識してみるのです・・・根っこにある「元型」を
潰し屋も、子供も、売春婦も、犠牲者も私の中にある影。
それらに、瞬時に乗っ取られ、エネルギーがじゃじゃ漏れになってしまう。
帰ってきましょうね、「いま」「ここ」という「エネルギーの場」に。
意識的に生きるということは、闇に光を当てるということ。
闇とは、光のない状態のこと。
闇を見据える。
それが、意識するということ。
光が当たれば、闇は存在することはできません。
闇は、光に勝てないのですから。