赤塚高仁ブログ

他者の心の中を裁くことは・・・

2015.09.21

 「他者の心の中を裁くことは、人間の分際を超えている。」

産經新聞の曽野綾子さんのコラムです。
「このごろ、人間が人間の分際や機能を逸脱してきたと思うことが多い。
毎年、必ず起きるのが靖国問題で、閣僚が靖国神社に参るのが、過去の戦争を認めていることになるという近隣諸国の主張があり、今年は(2013年)はアメリカの議会調査局まで、そのような考え方の肩を持つようになったらしい。
 私は何度か、この欄にも書いているが、私たちが靖国に参るのは、戦争によって再びああいう悲惨な若者たちの死を見たくないからである。
私も毎年8月15日に靖国神社に参拝するが、それは日本人全体が、現実問題として戦後どこの国とも戦わず、
思想の弾圧も統制もせず、汚職政治家もごく稀という状態でやってこられました。この状態を続けていきたいと願っております、と亡き人たちに報告しに行くのである。
 こういう精神の問題にまで立ち入るのがおかしいのは、人間が他者の心の中を個人的に推測し裁くことになるからだ。
 総理といえども一人の人間だ。
安倍総理がどのような思いで靖国に参るかを推測して、それを妨害するというのは、思想の自由、個人の尊厳を侵す暴力だ。しかも、総理は日本の公正で自由な総選挙によって、国民の総意を得て総理になった。
総選挙もなく、党の実力者が政治権力を握るという「現代の帝国主義」的国家の特権階級から出たのではない。
 総理が自分で玉串料を払い、内閣総理大臣と署名せずに安倍晋三とだけお書きになったら、その心のうちを誰が取り締まるのだ。考えるだけで滑稽なことだ。
 人の心の内面を知り、それを裁くのは神だけだと聖書は書いている。靖国に祭られている戦死者の中で、誰が本当の罪人かそうでないかを知るのは神だけである。
それを人間ができる、とするのは途方もない思い上がりというものだろう。
 アメリカ人は5人のうち4人が、韓国人は3人に1人がキリスト教徒だと言われている。
その人たちが、戦争による死者の中の罪人を分類し、裁き続けるのだという。
 今さらでもないが、かつての時代のように、人間が自分たちもまたたやすく間違いを犯す存在かも知れないという虞や謙虚さを失ってきた。それも時代の成り行きかもしれないが、私は日本人が国を挙げてこうした思い上がりを犯すようにはなりたくないものだと思う」
 安保法案反対、強制採決反対と集会をして行進をする人たちよ、
国会前は拡声器の使用は禁じられております。
人の迷惑になる行動はやめて、民主主義国家にふさわしい知的な国民になってください、少しくらいは。
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