飛んでイスタンブール
2015.10.04
聖書で、使徒たちの働きを読むたびに「伝えること」の大切さを想わされます。
イエスがどれほどの救世主であっても、イエスを伝える者がいなければ、私たちは彼を知ることはなかったでしょう。
イスラエルのガリラヤ湖周辺で生まれた、ユダヤ教イエス派という小さな新興宗教で終わったかも知れません。
ところが、十字架につけられ死んでも蘇ったイエスキリストは、霊としてパウロに現れます。
敬虔なるユダヤ教の律法学者のエリート、パウロが人格一変する場面は息をのみます。
実際に、シリアのダマスコで聖書のその場面に触れてから、私も人生を変えられました。
2度目のダマスコ訪問、ホテルの部屋でパウロの声を聞くことになるとは、思いもよらないことでした。
「私がお前を呼んだ。
パウロだ。
お前は、私のようにキリストを伝える。
何処に行くにも私が共にある」
あれから14年、キリスト教はわかりませんが、聖書の講義もするようになった私です。
神の霊の結晶体、それが言葉として記されている秘密の本、人類の智慧の集大成が聖書です。
パウロのお呼びがかかりました。
エペソに行って参ります。
トルコのどこかですね、よくわかりませんが行ってきます。
パソコンは持っていきますから、ワイファイがつながればブログアップします。
もし、更新されなかったらどこか遠く、西の空の下にいることと思ってください。
パウロと再会し、使徒行伝、ガラテヤ人への手紙、足の裏で読んできます。
きっと、パシフィコ横浜での講演会にはステージにパウロ先生が降臨されるに違いありません。
では、行ってきます。