3泊6日トルコツアー
2015.10.08
イスタンブールのホテルの部屋で書いています。
15階の部屋から見える真夜中の街は、昼間の喧騒がウソのように雨の中でひっそり静まりかえっています。
1400万人の人口は、トルコ全体の五分の一といいますから驚かされます。
中東は、イスラエルに13回、ヨルダン3回、シリア2回、そしてレバノンを訪問しました。
それぞれに国柄を感じ味わい深いのですが、トルコはあまりに懐かしく、
入国した瞬間に大好きになりました。
わずか4日の滞在ですが、ずっと昔からいたような感覚を覚えるのは過去世からの記憶でしょうか。
イスラムの国ですが、他の宗教に寛容で穏やかな波動に心が安らぐのです。
シリアではお酒が飲めずにずっと水を飲んでましたけど、トルコは酒も料理も美味しい。
聖書を持って歩くのも平気です。
エルサレムのイスラム居住区では、聖書を持って歩くこともご法度ですから、緊張しますよ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ根っこの兄弟なのに仲良く出来ないのですね。
エホバの神様もキリストの神様もアラーの神様も愛を説くのに、争いが無くならないのはどうしたもんでしょうか。
モーゼもイエスもマホメットも宗教を作ってケンカしようとしたわけじゃない。
いい世界にしよう、幸せになろうよ!と叫んだだけでしょ。
イエスキリストは、別にユダヤ教にケンカを売ったわけじゃありません。
彼自身敬虔なユダヤ教の信徒でしたから。
でも、あまりに神の教えと反する宗教家たちの姿に異議を唱えたから殺されてしまいました。
キリスト教を作って、その教祖になろうなんて思いもしなかったことでしょう。
それが反社会的な過激派集団だと、時の権力者に睨まれて迫害されたわけでず。
ところがイエスが亡くなってしばらく経つと、時の権力者は信者になって、いつの間にか迫害の対象だったはずの教えが国家宗教になってしまいます。
あれほどキリストを迫害したローマ帝国の国教になるのですから、驚くべきことです。
世界宗教になっていったのは、教えが本当のことだったからでしょう。
ただ、それだけではなくキリスト教が国をまとめるのに都合がいいという支配者の思惑があったことも見逃してはならないでしょう。
キリスト教だけでなく、イスラム教、仏教だってそうです。
宗教を使えば、人間の権力や道徳よりも強力に人を支配することができます。
なにしろ、人間の心、頭の中まで支配できるのですから。
えらい人には頭を下げる、土下座するといっても、宗教の裏付けがなければただ表面的にやっていればいい。
頭を下げながら舌を出しているかも知れません。
だけど、そこに神様や仏様が出てくるとそうはいかないでしょう。
神様仏様は心の中までお見通しですから、舌を出してたら地獄におとされます。
宗教に依存させれば恐怖が生まれ、支配者は民衆の心の中まで支配できます。
イエスは、人が造った宮には神はお住みにならない、と言いました。
でも、ヨーロッパには巨大な聖堂が建ち並び、ここイスタンブールにも驚くほど立派なモスクがいっぱいあります。
日本の奈良の大仏にしてもそうですが、時の権力者は国力を傾けて巨大な宗教施設を作ったのでしょう。
神様仏様への信仰心を表すというのは表向きで、民衆を畏れさせ魂を奪おうと考えたのでしょうね。
CGだSFXだといって画像で作り出されたものに慣れっこになってる現代人でも、建立されたばかりの金色に輝く奈良の大仏を見たらたまげるでしょう。
エジプトの神殿も、エルサレムの神殿も、メッカのモスクも、バチカンの大聖堂も・・・
そうやって王様は社会を安定させようとしてきたのでしょう。
それで、宗教は社会に秩序をもたらし、世の中は安定しました。
めでたしめでたし、となればよかったのにそうはいかないのです。
世の中に宗教が一つではないからです。
宗教と宗教がぶつかり合うと大問題がおきるのです。
なにしろ、どちらも絶対的な正義だから。
正義と正義がぶつかると、戦争になります。
自分たちが正義で、相手は悪ですから、何をしてもいいのです。
「己を愛するように隣人を愛せよ」
イエスの戒めの中で、最も大切な教えです。
にもかかわらず、人類史上最大の殺人集団となったのがキリスト教国です。
力をつけてきたイスラム教国との緊張が世界を覆っています。
世の中を平和に治めるための宗教が、今もなお無数の戦争の種となっているなんて、ままならないものですね。
さあ、夜明けがきます。
アヤソフィア、ブルーモスクと訪ねてみます。
すべての宗教が手をつなぎ合いますようにと祈りを捧げます。
そして、宗教戦争などしたことのないヤマトの神道に世界が気づきますように。
伊勢の風が世界に吹き渡りますように。