赤塚高仁ブログ

祝福の水路として

2015.10.12

札幌講演会、最高でした。

初めて来てくださった方がほとんどでしたが、
最後にはやまとこころの火が灯り、
皆さん日本人としての誇りに背骨が伸びて、
凛としてお帰りになりました。
 ã„つも伴なってくれるパウロの霊が、
トルコ以降強くなっているのを感じてなりません。
 ã‚る方によると、
親鸞はパウロの生まれ変わりだとのこと。
本当のことは、私にはわかりませんが、
絶対他力の宇宙を語らせたら、この二人にかなう人間はいないでしょう。
阿弥陀とキリスト
南無阿弥陀に南無キリスト
我が家は浄土真宗だから、キリストの信仰は全く違和感ないのは当然のことですね。
講演というよりも、いかに自分を明け渡し、
空っぽになってパウロに使ってもらうか、
その一点に尽きるのです。
よく思われたい、偉くなりたい、立派でありたいなんていう余計な緊張に色目を使わず、ただ祝福の水路として立つ。
そんなとき、流れるエネルギー。
それが聴く人の胸に飛び込んで、化学反応を起こして、
ときに涙に、ときに笑いに、ときには憤りに
 ã†ã¾ãè©±ã—たい、ウケたい・・・・
そんな欲を超えて、まったく無になる瞬間が訪れã
¾ã™ã€‚
ほんの一瞬です。
でも永遠です。
パウロに乗っ取られる快感。
パウロが誇らずにはいられないキリスト。
キリストの波動が言葉として私の口から出て行くときの振動がわかるでしようか。
自分の声が変わるのがわかります。
無上の喜びであり、至福の時です。
 å®—教や倫理や道徳といったカテゴリーを超越した、
創造のエネルギーを生きる。
そのお手本がキリストイエスであり、天皇陛下なのです。
 ç§ãŒå¤©çš‡é™›ä¸‹ã‚’お伝えすることが、キリストの伝道であること、
いつの日にかわかってもらえる日がくると信じて、今日も語ります。
 
 
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