信じるものは救われる・・・のか?
2015.10.13
聖書では、創造主が宇宙の森羅万象を生み出したとあります。
「はじめに神は天と地を創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。
神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
夕となり、また朝となった。第一日である。・・・・」
ところが古事記を読むと、宇宙のエネルギーが神を創造したようなのです。
「天地(アメツチ)が初めて発れた時、高天原に成ったのは天之御中主神でした。
間も無く高御産巣日神、続けて神産巣日神が成りました。
この三柱の神は、いずれも独神で、すぐに御身をお隠しになりました。
独神とは男女の区別が無い神で、男神と女神の両方の性質をお備えになった神なのです。
・・・・」
さて、いまこうしてブログを書いている私は、いったいどこからやってきたのでしょうね。
父母があり、この世に生まれさせていただいたわけですが、
父母にも父母があります。
20代遡ると、100万人という驚くべき数になるのですが、
ま、だいたいここで4〜500年といったところでしょうか。
その100万人20代遡ると、それぞれに100万人のご先祖様があるわけです。
約1000年前というと、平安時代の終わりころでしょうか・・・
当時の日本の人口とまったく合いませんね。
みな兄弟姉妹でしょうか。
こうやってずっとたどってゆくと、最初の人はだれでしょう?
聖書ではアダムとイブ。
神が土をこねてご自身に似せて直接作ったとあります。
鼻から神の霊を吹き込んで、生きるものとなった、というわけです。
古事記では、肉体を持って男女として登場するのがイザナキとイザナミです。
国産みの神であり、
イザナキからアマテラスはじめ、多くの神様が登場するわけですが、
さて、その大元の元は・・・?
聖書の神様の元は?
その根源のエネルギーこそ「神」と呼ぶ「ある」という存在なのですね。
そこから始まって、すべての時を経て、全宇宙のエネルギーが一人ひとりに結集しています。
猿から進化したという「進化論」は、あきらかに間違いです。
人の先祖は、「神」なのだ。
あ、そうそう、何が書きたかったのだろう。
宗教家たちは、「神を信じよ」と説きますね。
「信じるものは救われる」と。
神の愛とは、「無条件」です。
「信じたら救うよ」というセコイ条件付きの愛は、神ではありませんからご安心ください。
え? じゃあどうしたら・・・って
そうです、私たちはすでに救われています。
一方的に、
無差別に、
無制限に、
もちろん、無条件で。
神様が私たちを信じて下さっていることを思い出すとき、胸の奥の方があつくなります。
信じようが、信じまいが、一方的に無条件で信じて下さっている。
それを知ったときから始まるのが、「信仰」だと私は思うのです。