弔辞~島村不二夫兄へ
2015.10.20
友の遺骨を拾いながら、
言い知れぬ喪失感に包まれ、何やらこころが定まらぬ今日ですが、私は生きています。
多くの弔問客に、不二夫さんの生きざまを見させてもらいました。
人は、
どれだけ得たかではなく、
どれだけ与えたかが、次の世界に行くパスポートになるのかも知れません。
島村不二夫さん
あなたと初めて会ったのは、10年前のイスラエルツアーでしたね。
団体行動の苦手なあなたは、
いつも勝手に動き回り、集合時間には間に合わず、
集合場所におられず、土産物屋に姿を消し、
ツアーリーダーだった私にとって、とても困った存在でした。
でも、よくみると
いつも誰かのことを思いやり、
誰かのために写真を撮り、
自分のことをさておいて動いておられるお姿に気づかされました。
旅の終わりには、あなたのことが大好きになっていた私です。
わが師、糸川英夫博士は生前、
「イスラエルの旅に出て、生涯つきあえる友が一人できたら
その旅は成功だったんだよ」
と、常に言っておられました。
いまになってみて、改めてその言葉の意味がわかるのです。
不二夫さん、
あなたは、私の講演会に日本中お付き合いくださいましたね。
奥さんのみどりさんと二人、どこまでも追っかけてくださいました。
入口近くの一番後ろがあなたの指定席でした。
会場のみんなの反応を見るのが好きなんですわ、と言いながらニコニコして、
やがて静かに眠りに落ちてゆく。
演台からそんなあなたの姿を見るたび、強力な安心をいただけたことを思うのです。
不二夫さん、
お釈迦様の弟子が、こう聞いたそうです。
「先生、良き友を得ることは、人生の成功の道半ばまできたと思って良いのでしょうか?」と
すると
「それはちがう、
良き友を得ることは、人生の成功そのものなのだよ」と、お答えになったそうです。
不二夫さん、
わたしは、あなたのような素晴らしい友に恵まれたこと、魂の底から感謝します。
不二夫さん、
私は、あなたとの深い交わりの日々の中でも、
人の悪口、愚痴、不平不満、泣き言・・・聞いたことがありません。
私の無茶なお願いごとでも、いつも
「ハイ」か「イエス」か「喜んで」でした。
それが、どれほどすごいことなのか、いま改めてしみじみかみしめています。
それから不二夫さん、
いろんなところにいきましたね。
数えられないさまざまな場面が、ちぎれながら溢れてきます。
不二夫さんは、初めていく場所のことすごく細かく調べて、案内してくれました。
一度行ったところでは、すっかり仲良しになっていて、私を紹介してくれました。
不二夫さん、残った私もじきにあなたが旅立った場所に行きます。
待っていてくださいね。
それまで、あなたが生きたように私も生きてゆきます。
機嫌良く、喜んで生かされていきます。
そして、また逢えたときに
案内してくださいね、いつものように・・・