心の中に起きる願いは
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、
それは、神のよしとされるところだからである。
すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真なものとなり、曲がった邪悪な時代のただ中にあって、
傷のない神の子となるためである。
あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。 ピリピ書2章」
津にいるときは、ほぼ毎朝6:20からキリストの幕屋で祈ります。
今朝読んだ聖書の中の、パウロの書簡「ピリピ書」が深く魂に響き、沁みこんできました。
10年前にシリアで不思議な体験をして以来、聖書を読むようになりましたが、本当に聖書ってすごい本ですね。
旧約4000年、新約2000年、2000以上の言葉に翻訳され、世界で毎年1000万部以上発行されている超ロング・ベストセラー。
どんなに売れた本でも、10年後本屋さんに並んでいるものはわずか。
ワシが、35歳の時に出版してもらった本なんて、名古屋の三省堂で平積みにしてあって、ヤッタ!と思ったら
一週間後には一冊棚に入れられ、一月後にはありませんでしたもの。
だから、聖書をキリスト教の経典なんて思ったら大間違いで、もったいない。
全人類に与えられた、知恵の書だと思えます。 だから、ワシはキリスト教はわからないけど、キリスト・イエスが大好きなのです。
2000前に33歳で死んだ、30歳まで大工だった一人のユダヤ人のことを全世界で知らない人がいないなんてすごくないですか?
しかも、クリスチャンがほとんどいないこの極東の島国で、その男の誕生日にみんながケーキ買ったり、唐揚げ買ったりして祝う。
ならば、彼のことを知らなきゃ損だわ。
だったら、せっかくなので聖書読んだほうがいいですね、めちゃくちゃ面白いから。
あ、教会で牧師さんが読む聖書は面白くないです、ワシ、寝てしまいます。
自分が願っているようで、実は願わされている。
そして、自分が願っている、その前から願われている。
出会いのひとつひとつを思ってみても、いきさつを超えた大きな力で導かれているとしか思えないことがあります。
本当に出会いは奇跡であり、日々の暮らしの中の、現場の中のあらゆる小さな場面に大きな神の御手が働いていることを感じます。
ブログを読んでくださっている、北海道のHさん。
神様の宿る家を建てるんだって、いま土地を探しておられます。 見つかったら飛んでいきますね。
宇都宮のSさん、応援メールありがとう。
愛知県のAさん、O宣言の家、デザインがイマイチというご指摘、受け止めました。きっと素敵にしてゆきます。
今日、ここまでのワシの人生、すべてが神様の宿る家をこの世に広め、伝えるためにあったのだなぁとしみじみ思います。
明日は、澤田先生の誕生会で仲間が岐阜に集まります。
土曜日は、生体エネルギーのセミナーをワシんとこのログハウスでやります。美人講師です、わくわくです。
日曜日は、Oさま邸の構造見学会です。20数名の方が申し込んでくださったのでバスを仕立てて出かけます。
神様が、本当に宿ってくださるために、まずワシらが神様と共に働かせていただくことですね。
心に起きる願いは、神様によって願わされたこと、そしてそれは、神がよしとしてくださったこと。
溢れかえる情報と言う名のノイズのなかで、本当のことを見つけてゆきましょう。
本当のことは、いつも小さな呼びかけです。
でも、自分の本当の心は、知っているはずです。 本当のことを。
大勢の声、大きな声、みんなの意見、そんなものに流されないで、二度とない自分だけの人生を大事にしたいものです。
いま、勇気をもって。