闇の背後にある光
尊敬する、行動科学研究所・岩田静治先生のお話です。
強さとは、プラス発想で生きることなどではなく、
自分の弱さや闇を知ること。
そして、その闇に降りてゆき、弱い自分、怖がっている自分を許し、受けとめ、
抱きしめて認めること。
その自分で歩き出すこと。
私の闇に降りるとき、一緒に降りてくださったのが岩田先生です。
ダイビングのインストラクターのように。
どうして先生は、他人の闇に一緒に降りてゆけるのでしょうか。
もしかしたら、一緒に溺れてしまうかもしれないのに。
それは、先生が闇の背後には「必ず」光があり、すべての人はそこに出る、と信じ切っておられるからです。
それが人の命というものだと、先生は教えてくださいました。
以下は、静治先生のことばです。
「それが夫婦であれ、友人であれ、仕事仲間であれ、
他の人との関係の基礎は、自分自身との関係にあります。
この二つはつながっており、最も深いところでは一つのことです。
つまり、人間の中にある影とどのように向かい合うか、
そして人間の中にある光とどうつながるかということであり、
それが自分の内で起るか、外で起るかの違いだけで、結局は同じことなのです。
「あの人は自分には甘く、人には厳しい」とか、
「人のことはよくわかるけれど、自分のことはわからないものですね」などの言葉を聞いていると、
あたかも二つは別々のことのように聞こえますが、
より深く話を聞いていくと、そんなことはあり得ないことがわかってきます。
人に厳しいひとは自分にも厳しく、そもそもその厳しさは少し歪んでおり、
決して人をエンパワーするものではなく、
その歪んだ厳しさに自分は日々晒されており、
自分のことを受け入れられない苛立ちを直視することができず、
周りにも歪んだ厳しさをまき散らすことで、かろうじてバランスを取ろうとしているのかもしれません。
人のことならよくわかると思っているのは、これまで自分自身に意識を向けてこなかっただけで、
また、他人に対してわかったと思っている部分も、ただ表面を少し引っ掻いた程度のもので、
その奥にあるものについては、自分がわからないのと同じくらいわからないのです。
自分との向き合いは、他者との向き合い
人は単純にできています。
自分自身とのつながりが深いほど、他者とつながることができ、
自分自身への理解が深いほど、他者への理解も深まるのです。
自分に対してはこうだけど、他人に対してはこうしているとか、
この人との関係はこうだけど、あの人との関係はこうだということは、
深いところではあり得ないのです。
『さばいてはいけません。さばかれないためです。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、
あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです』
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』
イエスの言葉が教えてくれるのは、二つに見えるものが、本来は一つであるということです。
だから私たちは、周りの人と向かい合うことで、自分自身と向かい合っており、
自分自身と向かい合うことで、周りの人との関係を変えていくことができるのです。
人間関係のエンパワメントは、自分自身のエンパワメントです。
もちろん人間関係は相手があることですから、相手が変わらないこともあるでしょう。
大切なのは相手が変わることではなく、相手との関係が変わることです。
相手との関係がエンパワーされることです。
それは自分から始められるのです。
人間関係の問題を、表面的な部分だけで捉えるのではなく、
私は一体何が問われているのかをいつも大切にしていきましょう。
そして、一つ一つの機会を、自分が強くなるために生かしましょう。
強さとは、影と向かい合い、背後にある光とつながることのできる力です。
それが自分の内であっても、外であったとしても」
神は愛です。