そのとおりに実行すること
若き日に、ロケット博士糸川英夫先生と出逢わせていただき、
人生の師匠と決めて追っかけをしてました。 ワシは29歳、糸川博士76歳のときでした。
それから博士が亡くなるまでの10年間、そばで博士の思想を受けていました。
帝国陸軍の名機「隼」の設計士であった博士は、戦後、飛行機作りを連合国から禁じられ、
紆余曲折の末にアメリカでロケットに出会います。
「ロケットなら世界と勝負ができる」そして、前例がないからやってみよう!の精神で
生まれた、わずか23センチのペンシルロケット。
これがなきゃ、7年間60億キロの小惑星イトカワへの奇蹟の往還を成し遂げた、
探査機「はやぶさ」は産まれていなのだと思うと、なんだか誇らしい気持ちになります。
でも、やっぱり驚くのは、博士と過ごした10年間で、博士はワシに全くと言っていいほど、
ロケットの話はされなかった。
過ぎた過去は「生ゴミ」常に、今ここ、そして明日のビジョン。
過去の栄光にとらわれ、それを自慢する人が当たり前に思える時、博士はやっぱりすごい。
あ、そういえば5月24日BS・NHKで糸川英夫生誕100年記念の特別番組があるそうです!!
今、ワシは天からの恵みで師匠をいただきました。
その人は「価値を生み出す天才」です。
単に、ものごとの価値だけでなく、人の持っているポテンシャルを見抜き、引き出す。
相手に合わせて、必要な情報を与え、その都度導き方を変えてゆく。
だから、ファミリーと呼ばれる弟子たち全員が成果をあげているのでしょうね。
まさに、鉄を金に変えてゆく錬金術師のような能力は、神業とも思えます。
ちょっとヨイショっぽいのは、今日、師匠の誕生会があるからってことにしときます。
糸川博士のそばにいる間、ワシは、白いものでも博士が黒といえば黒でした。
先生というのは、自分にとって益のある情報を与えてくれる人、だから多くの人がたくさんの先生を訪ね求めて巡礼を続けています。
しかし、師匠に対しては、自分の都合はあとまわし、自分を捨ててそのとおりに実行すること。
自我という強力な、いつしか自分勝手に作り上げてしまった檻の中でワシらは、苦しみもがいています。
自我を壊すのは、自分の力では不可能です。
何故なら、それをしようとしているのも自我そのものだからです。
だからこそ、自我を打ち砕いてくれる圧倒的な師と呼べる存在の大切さを思わされるのです。
53歳にもなって、ましてや社長業なんてやってれば誰も言ってくれません。
親兄弟でもましてや夫婦となれば、なかなか素直にハイとはいかないものです。
いわれたとおりに実行すること。
これは、とても大きな学びであり、本当の人生のレッスンだなぁと思えるのです。
ありがたいことです。