死んだらどうなるのでしょう
2015.11.13
仲良しのエドガーケイシー研究家、光田秀さんは、子どもの頃お父さんに
「人間は死んだらゴミになる」
と、教えられ、大変悩んだそうです。
どうせゴミになってしまうなら、この世で生きるのは何と虚しいことだろうと、
自殺を考えたほどに。
お父さんは、戦後シベリア抑留で、徹底的な洗脳教育を受けて、
共産思想を叩き込まれたのだそうです。
・・・神なき世界・・それが、共産思想であり唯物思想です。
そして、それが間違っていたことは、ソ連崩壊を見ても明らかでしょう。
その後、光田さんは「人は死なず転生する」というエドガーケイシーに出会い、
運命は変えられていきました。
ケイシーが信仰するイエスキリストが、私と光田秀さんを出会わせてくれたのですが、
実際に死んだらどうなるのでしょうね。
「死んだら無になり、何もなくなる」「ゴミになる」という人もあるし、
「天国に行く、地獄に行く」という人もあります。
哲学者や、宗教家が命がけで思索を続けていますが、本当のところは誰もわからないようです。
「人はどうして生まれてくるのでしょうか、どうせ死んでしまうのに」
こんな単純な問いかけに、答えを持たぬまま、
今日という私たちの大切な一日が過ぎ去って行きます。
ところが、一度死んで、再びそこから復活してみせてくれたのがイエスキリストです。
イエスは言います。
「人間は死んで終わりになるものではありません。
今持たされている低い有限のいのちから、さらに高い永遠のいのちへと新しくされる。
これを復活というのです」
ヨハネによる福音書3章に、イエスのこんな言葉があります。
「風は思いのままに吹く。
あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。
霊から生まれる者もみな、それと同じである。
わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、
あなたがたはわたしたちのあかしを受け入れない。
天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない」
秋の風に吹かれて、生きていることの懐かしさにふっと胸が熱くなる。
そんな日があってもいいですね。
さあ、今日はそんな懐かしい兄弟たちのいる岐阜県恵那市で講演会です。
やまとこころのキャンドルサービス、行って参ります!