憂国
45年前の昨日11月25日、三島由紀夫が市谷の陸上自衛隊駐屯地で、
自決しました。
三島文学のどこが好きかと聞かれたら、
私は「美しい日本語」とこたえるでしょうか。
高校時代に読んだのに、主人公の名前が初江と新治だったことを今でも覚えています。
昨日会った人の名前も忘れてしまう私なのに。
拙著「ヤマト人への手紙」に三島由紀夫のことを書いています。
「
三島は、自決の四ヵ月半前に新聞に書いた記事をこう締めくくっています。
『私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。このままいったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである』」
三島は言いました。
日本に、命に代えても護らなければならないものが二つある。
それは、天壌無窮の神勅と三種の神器である、と。
夫の日本武尊を護るために入水した弟橘姫命
七生報国を誓って湊川で死んだ楠木正成、
忠臣蔵、吉田松陰そして幕末の志士達
さらに西南の役の西郷南洲また日清日露と大東亜戦争の英霊に連なるやまとこころ。
死して生きるのが大和の魂でしょうか。
以下は、自決直前に三島が訴えた「檄」のクライマックスです。
「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
では、「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」とは何か。
それは、「天壌無窮の神勅」である。
吉田松陰は記した。
天祖の神勅に日嗣之隆興天壌無窮と有之候所、
神勅相違なければ日本未だ亡びず、
日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずある也、
只今の時勢に頓着するは神勅を疑うの罪軽からざる也。
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし大和魂
散るをいとふ世にも人にもさきがけて 散るこそ花と吹く小夜嵐」
歴史の中で、崇高な、忘れがたい瞬間というものは稀なのでしょう。
しかし、その瞬間に立ち会っていたとしても、気づかないのがほとんどなのかもしれません。
2000年前にイスラエルで暮らしていたとしても、隣に座ったのがイエスだとしても、
彼がキリストだと気づくことの出来ない人がほとんどなのではないでしょうか。
過去と未来に対しては、人間は天才的に語ることができますが、今ここに対しては永遠に迷える子羊のように思えます。
45年前に、三島由紀夫が命をかけて訴えたやまとこころ。
たとえわずかだとしても、私も伝えさせてもらいたいと、止むにやまれぬ思いが湧かされます。
彼が死んだのが45歳。
私の本棚には、三島の遺作「豊饒の海」4部作が、しかも初版本があります。
20年ほど前に手に入れて、読み始めたものの途中でわからなくなってしまい、そのままにしてありました。
いま、改めて読み始めてみようと思います。