国あってこその自分
2015.12.31
何年ぶりに紅白歌合戦観て、
ゆく年くる年で伊勢神宮の篝火見て、
ああ、あの火の当番してたなぁと思いつつ、
氏神さんと観音さんにお参りして、ブログ書き始めました。
新しい年の幕が開きです。
どんな年になるのでしょう。
神のみぞ知る・・・
年頭に、おやかたさま・松木草垣先生の言の葉を
「 国あってこその自分
それでね、国ね、上も下も、そこら中ですね。
"まぁ、やれやれ、こりゃ大変な世だなぁ"ということね、
こういう世になるということを、ズーッと昔、20年前に、私はお腹から(みたまさんから)
聞かされておりましたが、その時にはね、"そうかなぁ"っていうぐらいでね、
でも、
何となく、思想的にも随分妙な時代だなぁってことは気がついていたんですけどね、
まさか、こんなになるとは分からなかったんですね。
でもね、今にもう、どうにもこうにも行けなくなる。
越すに越せん、
行くに行けん、
通るに通れん時が来るっていうことを聞かされておりましたんですね。
やっぱり、その通りになりましたね。
なりつつありますね。
もっと落ちるそうです。
それでね、よろしいか、国から峠ということを、
皆さん、よくね、本当に知ってほしゅうございますね。
で、
"国あっての我々だ"とね。
当たり前のことでしょう、"国あっての自分達でしょう"って」
祖国を失い流浪の民となったユダヤが教えてくれます。
国がなくなるということがどういうことなのか。
国あってこその自分だということ、今一度考える元旦です。
今年もどうぞよろしくお願いします。
サミットに向けて、祈りを強めて参りましょう。
伊勢の風が世界に吹きますように。