赤塚高仁ブログ

人を裁くな

2016.02.25

 マタイによる福音書の第7章の書き出しです。

「人を裁くな。
自分が裁かれないためである。
あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、
あなたがたの量るそのはかりで、
自分にも量り与えられるであろう。
 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、
自分の目にある梁を認めないのか。
 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、
あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」
そして、こう続きます」
「聖なるものを犬にやるな。
また真珠を豚に投げつけてやるな。
・・・
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば見出すであろう。
門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう。」
キリスト教国である米国の、大統領選の候補者の品のない不動産屋さんに、
ローマ法王が、
「架け橋でなく、壁を作ることばかり考えている人は、
キリスト教徒ではありません」と批判すると、
その花札のような名前の不動産屋さんは、
「宗教指導者が人の信仰に疑問を投げかけるのは、恥ずべきことだ」
と、猛反発。
宗教学者や仏教徒のひとが、
「一神教は闘争的で、すぐに相手をさばき、殺そうとまでする」
と言います。
みなさーーーん、聖書を読み
イエスが何を言ったのか、ちゃんと聞いてください。
「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである」とまで言い、
まさに、そうやって生き、
罪を犯さずには生きていけない、我々のために死んでくださったイエスが、
悲しみますよ、ローマ法王さんよ。
日本の天皇を見習うがよろしい、
いかなるときもさばくことをされない、地上で最も大きな権威のお姿を。
 人には人を裁けない、
「さばきは神のものだからである」申命記1−17
トランプさんも心配はいりません。
キリスト教徒と認められなくても、神は決して人を見捨てませんから。
ただ、自分の口から出たものが、
まわりを汚し、自分に返ってくるという、宇宙のルールだけは、
お忘れにならないように。
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