赤塚高仁ブログ

「目覚め」

2016.02.26

もしもあの日あなたに

合わなければ、
この私は、どんな男の子になっていたことでしょう。
 これは、「芽生え」です。
もしも、あの日あなたが
産んでくれなければ、
この私は、この世に存在してなかったでしょう。
 57年前の今日、午後4時44分
私は、この世にやってきました。
私の母が、人生で最もしんどい思いをしてくれたであろう、
大変なご苦労をかけた日であります。
 父は、ウチで仕事をさぼってプロレスの試合を見ている間に私はやってきた。
だから力道山の試合時間で、私の出生時間が割り出されたのであります。
ところで、生まれて初めて聞いた言葉は、何でしょうか。
どんな言葉かは覚えていませんが、
「ウエルカム」
であったことは間違いありません。
人間は、生まれても自分で食事をとることはおろか、立って歩くこともできません。
保護されて、育てられなければ生きてゆけない存在です。
何年もの間。
だから、今生きてることは
生まれてから、誰かの世話になってきたということです。
親がいてくれたから、今、生きています。
そして生まれてからの3年間というもの、無条件に受け入れてきました、親を。
まるで神様に対するように。
まさに親と一体でした。
親もそうだったのでしょう、親と。
やがて、
「私」が芽生えてきます。
その私が自分だという錯覚の中に生きてゆくのです。
親から離れてゆきます。
 自分勝手に作り上げた、「私」という錯覚が苦しみを生みます。
苦しみの90%以上は、
「私について考えている」ことから生まれるようです。
 苦しみは、出来事によってもたらされるのではなく、
出来事から生まれる「物語」によってもたらされると言って良いでしょうか。
物語を生むのは、いつも「考え方の傾向」であり、「心の癖」です。
私たちの目的は「目覚めること」です。
ただそれだけです。
これはおそらく、すべての人が同じ目的だと思えます。
きっとそれこそが、人類の目的だと思えるからです。
 生まれてこれただけで大儲けですが、
せっかく生まれたのですから、「目覚めること」を通り、
神様の栄光をあらわして、あの世に帰りたいと強く願わされる今日の日です。
 
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