赤塚高仁ブログ

自分の物差し、他人への物差し

2016.03.01

  「他人の目の中のチリは見えても、

自分の目の中の梁は見えない」とイエスは言われました。
他人を裁く目と
自分を見る目には大きな違いがあるようです。

ところで、万引きと悪口

どちらの方が悪いでしょうか。

万引きされたために自殺した話はあまり聞きません。


だけど、人に悪口をいわれて死んだ老人の話や少年少女の話は時折、聞きます。


子どもたちの自殺のほとんどが、イジメによるものです。

悪口を言われた挙句、

生きていけなくなってしまいます。

哀しいことです。


私たちの何気なくいう悪口は人を死に追いやる力があるようです。


モノを盗るといった単純な罪とは違うんです。 


それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口をいい、また聞いています。


そしてああスッキリした、と帰っていく。


人の悪口が楽しい。


これが人間の悲しい性です。



もし自分が悪口をいわれたら夜も眠れないくらい、

怒ったり、くやしがったり、泣いたりするのに、

自分が言った時は、スヤスヤ眠る。

自分の陰口をきいた人には、顔を合わせても口も聞きたくないのに、

言った相手とは平然と会える。


自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。

なのに、それほど人を傷つけるうわさ話をいとも楽しげに語る。


私たちは自分を罪人だとは思ってはいません。

「私は、人さまに指一本さされることもしていません」

 私たちはたいていそう思っています。


それは私たちは常に、2つのモノサシを持っているからです。


「人のすることは大変悪い」


「自分のすることはそう悪くない」 


自分の過失を計る物差しと、自分以外の人の過失を計る物差しとはまったく違うのです。 


  他人の目の中のチリは見えても、

自分の目の中の梁は見えない。


 2000年前から人間は何にも変わっていません。


他人を裁かない、

自分が裁かれないためです。


   今日一日、口から愛の言葉を出しましょう。

世界を綺麗にするためです。


 さあ、今夜は京都講演です。

「やんちゃな独創」という、これまでなかった話を経営者向けにさせていただきます。

神の栄光が顕れますように。





PAGE TOP