サトリ ということ
2012.05.27
若き日に、サトリを求めてました。
悩んでましたから、いろんなことに。
サトリがあると、きっといいことがあると信じて。
・・・
サトリが得られると、不安が無くなる。
サトリが得られると、安心立命になる。
サトリが得られると、怒ることが無くなる。
サトリが得られると、邪な心が消える・・・
いろんな人に会いました、麻原ショーコーの話も聞きに行きました。
サティアンに入らず、よかったですわ。
あの組織で能書きたれてたら、いまごろ新聞で有名になっていたかも知れません。
それは、さておき、「この人は、ホンマにサトリを得てるに違いない」と思える人にも逢えました。
初めは、仙人のような人だったり、聖者と呼ばれるような人をすごいと思いました。
しばらく通うと、なんだか違和感を感じて離れてしまいます。
本当のことを知っているはずの人が、依存をさせ、離れるとよくないという恐怖を抱かせるパターンにうんざりしたからです。
「サトリ得ている」 そう、思える人。
その人は、一切比べない。
ワシらは、いつも何かと、誰かと比べて自分を知ろうとしています。
その「差」を自分だと思っています。
その「差」を取るのが、「差」取り サトリ
ワシが、若いころ、サトリを得られると、こんな風になれると思ってたことは、みんな自分のこと。
だから、全部エゴのカタマリ。
サトリを得ている人は、自分のことを言わなくなる。
自分のことを言わなくなるのが、サトリを得た人の特徴のようです。
「みんながよくなればいいんだよ」 ・・・この言葉に、サトリの匂いを感じつつ、今週も生かしていただきます。
比べない世界、0宣言の家を伝えて参りましょう。