赤塚高仁ブログ

なにごとのおはしますかは知らねども

2016.04.19

 「伊勢は、伊勢神宮はどんな所なのだろうか・・・。

電車に揺られていると、何やら長い歳月逢うことがかなわなかった人を訪ねる心地がしてきた。
宇治山田駅の駅舎はなかなか風情のある建物だった。
 宇治橋の前の鳥居に拝礼し、正宮のある右手を見たが破風の千木の突端は木々に隠れて見えなかった。
橋の木の音を立てながら五十鈴川をみた。
八本の立派な柱が水面から5、6メートルの高さにのびていた。
これは、"木除け杭"と言って、水量が増した折に上流から流れ出す木々で宇治橋がこわれるのを防いでいるという。
なるほどよくよく見れば大木もこの柱にぶつかれば勢いも弱まり、斜めになるように工夫してあった。
 一見、複雑に映る木組みと構造はひとつひとつを観察すると、
理にかなう造りになっており、日本の大工たちの技術力の高さに感心した。
「宮大工の中の船大工の手でこしらえているのです。
ほら、橋の湾曲が、船の底、土台の骨組みに似ているでしょう」
どんな人たちが、先年の遷宮の折、この仕事をしたのだろうかと思った。
見事なものである。
 一の鳥居にむかって砂利の敷かれた道を歩く。
砂利は、ぬかるみを作らないし、雑草も生えない。
知恵である。
 手水舎の先に五十鈴川が見えた。
船着き場のようにそこだけひらけていた。
あれは?
と訊くと、御手洗ができると言う。
私は水辺に寄り、身体をかがめて同じようにした。
冷たくて気持ちがよろしい。
 正宮に着き、頭を垂れた。
かすかに木の香りがする。
想像していたより大きくなかったことが、二千年の歳月を納得させる。
正宮の右隣に3年前までの20年間、宮があったという古殿地があるという
 荒祭宮の石の階段を登りながら、若い人や外国人と並んで祈っていると皆同じなのだと不思議な感慨があった。
ずっと耳の底に川のせせらぎと砂利を踏む人の気配、
そして山の音のようなものがした。
 ここは広大な森の一角である。
妙な話だが森は日本の津々浦々までつながっている。
以前、この地が日本を扇に例えれば要の場所と先輩に教えられた。
この森で、宮の中で、一年に1500の祭司があり、神官たちは祈っていると聞いた。
ーーー何を祈っているのだろうか・・・・。
かつて西行法師はこの地を訪れ、僧ゆえに神域には入れず、拝所から木々の間を見つめ、
「なにごとのおはしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」
と詠んだ。
 どんな祈りがされているのかを想い、感涙した法師の感謝の念がわかる氣もした。
ちいさな時間の大きな旅であった。」
  カード会社から毎月送られてくる月刊誌に連載されている、
伊集院静氏の文章を抜粋させていただきました。
美しい文章です。
やまとこころに潤いをあたえてくれる、素晴らしいエッセイです。
 6月16、17日入江ふみこさんが主催される「伊勢の風を感じる会」募集が始まっています。
伊勢はヤマト人の心のふるさとです。
私たちがヤマト人として生まれてきた意味、その本心に立ち返るためにも伊勢に帰りましょう。
 
  ひと月あまりでサミットが開催され、
世界の首脳が神宮の風を感じてくださいます。
  いよいよヤマト人が目覚めなければならない時がきたようです。
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