赤塚高仁ブログ

火の国の人

2016.04.21

 阿蘇の風の丘美術館はどうなっているだろうか。

大野勝彦先生はどうしておられるのか。

この一週間というもの、報道が流れるたびに気になって、

それでも電話もできず、無事を祈りながら過ごしてきました。

 

 45歳のとき農機具に手が巻き込まれ、

両腕を肘の先から失った大野先生。

何でもできた鉄人の様に強い人が、

誰かに助けてもらわなければトイレにも行けない人になりました。

でも、両手を失ったから見えてきたものがありました。

それは、自分はどれほど多くの人の愛に支えられて来たかという感謝です。

人は一人で生きているわけではないということを、腹の底からわからせてもらったとき、

何もかもがつながっているのだと気付いた大野先生。

「自分がどれくらい傲慢だったか全然気がついてなかったです、

もっと早よ、手ば 切っちょったらよかったばい」と、笑う大野先生に涙こぼれます。

書も、絵も描いたことのない人が、

45歳を過ぎてから義手で筆を持って始めた創作。

一枚一枚に祈りが込められます。

それから、15年、阿蘇の国立公園の中で2万坪以上の敷地の美術館

「風の丘・大野勝彦美術館」をオープンさせたのです。

超一流の画家でも生きてるうちに美術館を持てる人は、ほとんどいません。

もはや神業と言わざるを得ません。

闇に降りて光を生きている大野先生は、この世に生きる意味を超えているのかも知れません。

 

大野先生は言います。

「この美術館は俺のもんじゃなかと。

来てくれる人のためばい。

ここにきて、ホッとして、また歩き出す力もらってもらう。

俺が死んだあとも、ずっと来る人が喜んでくれたらよか」

 

数十万人の来場者が、笑ったり泣いたり。

来る人に楽しみを。

帰るときには喜びを。

熊本の名所、阿蘇のパワースポットに数えられるほどの人気の美術館です。

毎日何回も大野先生が講演し、

記念日にはお芝居まで上演され、大野先生が着物を着て踊られるのです。

 

 その美術館のある南阿蘇を巨大地震が直撃しました。

訪ねるたびに渡った橋も崩落、トンネルも潰れ、道が無くなりました。

通行止め、立ち入り禁止。

家屋は倒壊、土砂は崩れ道路は切断。

 「あー、赤塚さん

大丈夫ですよ、生きてますよ。

阿蘇は入れんごとなっとりますけん、

夜明け前にバリケード乗り越えて歩いて美術館、2回行ってきましたよ。

うん、うん、大丈夫

ガラスも割れとらんです、並べてあったものは落ちてますけどね、

けど、地面が隆起したり、陥没したり、地割れしたり

どうも全体が沈んでる感じです。

傷が痛かろう思うて、ブルーシート担いで登ってって、

地割れしたとこにかけてきたばい。

雨が流れ込んだら痛かろうもんね・・・」

 元気な大野先生の声を聞きながら、泣けてきた。

何の役にも立てないけれど、せめて祈ります。

「もっぺん一からやればよかとです。

神様は、そう仰ってるみたいやもんね。

燃えてますよ、見ちょってね」

 10分ほどの電話でしたが、胸がいっぱいになりました。

南阿蘇、どんな揺れが襲ったのか想像を絶します。

なぜ自分がこんな目にあうのか・・・と、犠牲者となって座り込んでしまうこともできます。

しかし、「よーし、神様 そう来ましたか」と受け止め、受け入れ、自分の課題として引き受ける。

人間は、そんなふうに生きてゆくことができるのです。

大野勝彦! やっぱかっこええねん!!

 自分の夢を信じて生きてみればいい。

今いるこの場所を天国に変えましょう、自分の役割を果たして。

内側からエネルギーを立ち上げ、喜びの波動を発しましょう。

  頑張ってって言おうと思って電話したのに、

励まされたのは私の方でした。

火の国の男は熱い、でも、伊勢の男も燃えていきます。

やまとこころ燃やしてゆきましょう。

そして、祈りを忘れず、心寄り添ってゆきましょう。

東北に、九州に

 

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