赤塚高仁ブログ

言うは易し

2016.07.06

「自分を幸せにしようとして、幸せになった人はいない」

 

「自分が幸せになるために生まれてきた、なんて大間違い。

人を幸せにするために人は生まれた」

 

 まったくそのとおりで、

しみじみその通りだなぁと思いますから、

つい人にも言ってしまったりするのです。

 

 「ビルゲイツは、個人の資産420兆円も持ってて、うつ病だ」

なんて、誰かから聞いた話を、さも偉そうに言ってる私は、

今月の資金繰りに四苦八苦しているので、うつ病になりそうだったりします。

 

 自分の願いが叶っても、人はつい

もっと、もっとを求めてしまい「本当の幸せ」はまだ先にあるような気がします。

「これでいいのだ」

と、思った瞬間、自分が落ちこぼれてしまいそうな不安が立ち上がったりもします。

だから、自分の幸せでなく、人の幸せのために生きることが自分の心の平安のために良いのだろうなとも思います。

 

人のために命を使えるようになれれば、

「自分について考えること」から解放されるのはわかります。

苦しみの90%以上は、「私について考える」ことだからです。

 

ところが、人がうまくいったら腹が立ったりするのですね。

あいつは感謝知らずだ、などと恩着せがましい心もふつふつと湧きあがったりしますのですよ。

 

「人の幸せを願いましょう」

 

 知っているのです、そんなこと。

もっているのです、知識として。

きっといつかできるさ、と思っているのです。

 

 知っていてもできないものです。

自分のことばかり考えてしまうし、追いかけます自分の幸せ。

意識して、あるいは無意識でも自分のことばかりです。

「あぁまたやってしまっている」

と、自分で自分を笑う繰り返しで半世紀生きてきました。
   
  それとまったく逆に
  「他人のことばかり考えていて、
  じぶんを粗末にしていちゃだめだ。」ということもあります。

 

そもそも、こういう思考がぐるぐるまわっているレベルの心で、

人のために生きるとか、人にやさしくとか、

言うは易し

されど、行うは難し なんでしょうね。
  

なかなかできないことだから、ことばにして人も言う。
  すぐに忘れてしまうから、ことばにしてじぶんも言う。
  よく言われることとは、つまり難しいことなんですね。

 

聖書にある格言も、2000年経っても古びないのは、

簡単そうで難しく、

単純そうでややこしいからかも知れませんね。

  「そうあったらいいんじゃない?」という憧れみたいなものかもしれません。

でも、「憧れ」はとても大事だと思います。

今年もまたイスラエルに行きますが、子供の頃

「死海で浮かびたい」と、憧れなかったらたどり着かなかったかも知れませんから。

 

 なんとなく書き出しから、結論が違う方向に向かったような気もしますが、

言うは易し、であっても やっぱり私は言うのだろうなと思うのです、

「憧れ」とは、つまり、そういうものなのでしょう。

バリ島の6つ星ホテルに泊めていただいて、

朝陽を見ながらしみじみと思っています、日本のこと、

そして、自分自身の奥の奥のことを。

 地球がとまったみたいな気がしています。

 

 

 

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