赤塚高仁ブログ

気づくということ

2012.06.05

 仕事がら、多くの御家族に会わせていただきます。

一つの家族に一つの親子のあり方があるようです。

たいていのおとなは、幼い子供に対して、目下の者に話しかける態度になります。

おとなとしての役割を演じているのでしょうか。

 

 ワシには、万穂(まほ)という娘がおりまして、マホが7歳の時に、ワシは大人として能書きをたれたのでした。

「マホ、お父さんはな、人に対して言いたいことを言えず、すごく損をしてきた。

だから、マホは、自分の思ってることをちゃんと言える人になるんだよ。」

マホは、ワシの目をじーーーっとみて、

「それって、パパの問題やん」

ワシは、ビックリして、「ホンマや」・・・でも、ひっこみつかないし

「じゃあ、パパは、神経がこまかいから、人の気持ちがわかるときがある。

だから、マホも人の気持ちのわかる人になろうね。」と言い直すと

「ん、それならわかる」 やて

それ以来、ワシは、心の中で、マホちゃん先生と呼んできたのであった。

 

 親としての必要な機能は、

1・ 子供の必要なものを満たすこと

2・ 子供を危険な目にあわせないようにすること

3・ 何かをしろ、何かをしてはいけないと命令すること

でも、それがいきすぎると

1・ 必要を満たし過ぎて、甘やかせダメにしてしまう

2・ 過保護になり、チャレンジ精神を奪ってしまう

3・ 命令が威圧的な支配となり、依存を生む

 

  親という役割が、自分のアイデンテティになると、自分を見失ってしまうようです。

だから、親という役割演技は、必要無くなった後も引きずられてゆくのでしょう。

子供が成人した後も、親であることをあきらめられず、41歳の子供に対して

「何があなたのためか、わたしがいちばんよくわかっている」などという、とんでもないことを言う。

成人しているはずのこどもを支配したい、影響を及ぼしたいという欲求が妨げられると、

子供の生き方を批判したり、否定したり、子供に罪悪感を抱かせようとする。

 表面的には子供のことを心配しているように見え、当人もそう信じているけど、実は親という役割を維持したいだけなのでしょうね。

ほとんど、無意識でなされているこれらのこと、本当の心の声は、こんな感じでしょうか。

「あなたには、私ができなかったことを実現してもらいたい。

そうしたら、私もあなたを通して、成功者となれる。

私を失望させないで、あなたのために私は、たくさんの犠牲を払ったのだから。

あなたを否定するのは、あなたを罪悪感で落ち着かない気持ちにさせて、私の思い通りにしたいから。

もちろん、何があなたのためか、私が一番良く知っているわ。

私は、あなたを愛しているから。

あなたが、私の言う通りにしたら、これからももっと愛してあげる。」

 

 この「親」を「社長」に入れ替えて読んでみると、ちょっと、ドキってしませんか。

 

こんな声が、心の中にあること、それに気づく。

気づきこそが、最大の変化へのパスポートと思えます。

頭に浮かぶ声は、過去に条件づけされた古い思考に他なりません。

考え方を変える。

不安からの解放、それは、気づくことから始まるのです。

 

  澤田さんとの出逢いを通して、ワシは、こんなことに気づくようにもなってきました。

すべては、考え方ですよね。

 

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