気づくということ
仕事がら、多くの御家族に会わせていただきます。
一つの家族に一つの親子のあり方があるようです。
たいていのおとなは、幼い子供に対して、目下の者に話しかける態度になります。
おとなとしての役割を演じているのでしょうか。
ワシには、万穂(まほ)という娘がおりまして、マホが7歳の時に、ワシは大人として能書きをたれたのでした。
「マホ、お父さんはな、人に対して言いたいことを言えず、すごく損をしてきた。
だから、マホは、自分の思ってることをちゃんと言える人になるんだよ。」
マホは、ワシの目をじーーーっとみて、
「それって、パパの問題やん」
ワシは、ビックリして、「ホンマや」・・・でも、ひっこみつかないし
「じゃあ、パパは、神経がこまかいから、人の気持ちがわかるときがある。
だから、マホも人の気持ちのわかる人になろうね。」と言い直すと
「ん、それならわかる」 やて
それ以来、ワシは、心の中で、マホちゃん先生と呼んできたのであった。
親としての必要な機能は、
1・ 子供の必要なものを満たすこと
2・ 子供を危険な目にあわせないようにすること
3・ 何かをしろ、何かをしてはいけないと命令すること
でも、それがいきすぎると
1・ 必要を満たし過ぎて、甘やかせダメにしてしまう
2・ 過保護になり、チャレンジ精神を奪ってしまう
3・ 命令が威圧的な支配となり、依存を生む
親という役割が、自分のアイデンテティになると、自分を見失ってしまうようです。
だから、親という役割演技は、必要無くなった後も引きずられてゆくのでしょう。
子供が成人した後も、親であることをあきらめられず、41歳の子供に対して
「何があなたのためか、わたしがいちばんよくわかっている」などという、とんでもないことを言う。
成人しているはずのこどもを支配したい、影響を及ぼしたいという欲求が妨げられると、
子供の生き方を批判したり、否定したり、子供に罪悪感を抱かせようとする。
表面的には子供のことを心配しているように見え、当人もそう信じているけど、実は親という役割を維持したいだけなのでしょうね。
ほとんど、無意識でなされているこれらのこと、本当の心の声は、こんな感じでしょうか。
「あなたには、私ができなかったことを実現してもらいたい。
そうしたら、私もあなたを通して、成功者となれる。
私を失望させないで、あなたのために私は、たくさんの犠牲を払ったのだから。
あなたを否定するのは、あなたを罪悪感で落ち着かない気持ちにさせて、私の思い通りにしたいから。
もちろん、何があなたのためか、私が一番良く知っているわ。
私は、あなたを愛しているから。
あなたが、私の言う通りにしたら、これからももっと愛してあげる。」
この「親」を「社長」に入れ替えて読んでみると、ちょっと、ドキってしませんか。
こんな声が、心の中にあること、それに気づく。
気づきこそが、最大の変化へのパスポートと思えます。
頭に浮かぶ声は、過去に条件づけされた古い思考に他なりません。
考え方を変える。
不安からの解放、それは、気づくことから始まるのです。
澤田さんとの出逢いを通して、ワシは、こんなことに気づくようにもなってきました。
すべては、考え方ですよね。