もうひとつの誕生日
28歳のとき、うつ病になりまして、
7月29日の夜自ら命を断ちました。
睡眠薬を50錠くらい日本酒で飲み、
カミソリで手首を切りました。
気がついたのは、3日後の病院のベッドの上でした。
緊急治療室のベッドに縛り付けられていました。
となりで母が、「どうしよう、妹の縁談に差し障る」と言ったのが生々しく思い出されます。
それから1カ月、大学病院の精神病棟に入院。
真夏の空を、鉄格子のついた窓から見上げたのを覚えています。
「いい学校に入り、いい会社に入れば人生はうまくゆき、
幸せに一生暮らせる」
というのが、私が信じ込まされていた我が家の律法でした。
子供の幸せを願い、一所懸命その教義を守り、
子供をコントロールして来た親も犠牲者ですね。
すべてが間違っていたとは思わないけれど、
それがすべてであるとは思わなくなりました。
人からどう思われるか、が最も大切なことだと思って生きてきましたが、
それが一番大事というわけでもないと思えるようになりました。
一度終わった命だから、自分が一番願うことを生きたい。
そう思うようになりました。
いつも、2番目以降の選択をしてきましたから。
「あの人に会いたい」と思っても、
どうせ会ってくれないだろう、会っても何ができる、自分に会う資格なんかない・・・
結局動かないという選択をしました。
でも、もう一つの誕生日から
「会いたい」が湧いたら「会う」を選択し、考える前に動きました。
出逢いが変わりました。
運命が変わりました。
その一年後の7月に糸川英夫博士と出逢うことになるとは、生まれ変わる前の自分には想像もつかないことです。
イスラエルに導かれるとは、思いもよらないことでした。
そのうえパウロとの霊的体験から、キリスト者にさせられるとは・・・
そして今、聖書の講座を全国各地で開催するようになり、キリストを伝道するなんて・・・
いまだにキリスト教が嫌いな私が・・・
母の胎より出でて以来、この世でさまざまな経験をさせていただいてきましたが、
29年前の今日、死んで、新しく生まれたという体験を通らせていただきましたこと感謝します。
マンションの3階、隣の部屋の窓から夜中に飛び移って倒れていた私を発見し、
病院に連れて行ってくれた寛子さんがいなければ、今私はここにいません。
寛子さん、命を救ってくれてありがとう。
人格が変わったというわけでもないし、
悩みや苦しみから解放されたわけでもないのですが、
生かされていることは、それだけですごいことなんだなぁと、ちょっと思えるようになったみたいです。
それから、人は必ず死ぬということも分かりました。
人類の歴史の中で死ななかった人はいませんから、生まれたら必ず死ぬということです。
そして、死んでも終わらない命があるということも知りました。
永遠の生き通しの命の中で肉体を与えられ、今回日本人として、両親を選んで生まれ、
出会う仲間と数十年この世を旅しています。
もうひとつの誕生日から、出会ってくださった、ご縁あるみなさん本当にありがとうございます。
みなさんのおかげで、人生はとても豊かなものだと教えていただけました。
あれから29年、
それまでの28年より永くなりました。
すべての出来事、一切の出逢いに偶然はないのだなぁと思います。
必要、
必然、
そして、最善。
やがて終りが来る今回の人生ですが、
もうすこしこの世で過ごさせていただきたいと願います。
これからもどうぞよろしく。
二度とない人生で、あなたに会えてよかった。
「聖なる約束」果たして、喜んで次の世界に還ってゆきたいものですね。