赤塚高仁ブログ

ザ・フナイ 2016年9月号

2016.07.29

 舩井幸雄の志 月刊ザ・フナイ

「マス・メディアには載らない本当の情報」
今月号の特集は
「女性性の目覚め」
巻頭言、舩井勝仁さんの
「情緒中心時代の幕開け」から引用します。
「 今年の3、4月号で巻頭鼎談をさせていただいた赤塚高仁さんと出路雅明さんとは、
お互いに年齢を重ねてから友人になったおじさん友だちとして本当に深いお付き合いをさせていただいています。
2月に京都でAKDライブということで赤塚・勝仁・出路の50歳代のおじさんが皆さまと一緒に本気で遊び、
魂の共振共鳴が深い感動を呼び起こすということをあらためて実感させていただきました。
お二人から、感動を共有することの大切さを教えていただいたのです。
 私は原稿を書いたり講演をするといった言葉のプロですが、
言葉を追求するうちに、その限界を感じるようになりました。
もちろん言葉はとても大切なものです。
竹田和平さんからは、人はいままで吐いてきた言葉でできていて、
未来の自分はこれから吐く言葉で決まるということを教えていただきました。
思考して、それを言葉に変えて発するとき、時間がかかるかもしれませんが天意に敵うことであれば必ず実現します。
逆に言うと、言葉にしたことには責任をもたなければならないのです。
ただし、盟友の小川雅弘さんや小川さんのメンターである村中愛さんからは、
「肯定的なポジティブな思いや言葉は歩いてやってくるが、
否定的でネガティヴな思いや言葉は走ってやってくる」
というメッセージを伝えていただいています。
これはとても納得できるもので、宝クジがなかなか当たらないのは、
当たるはずがないというネガティヴな思いがどうしても先行するからです。
 どうも言葉で、理論や理屈で伝えられることには限界があるようです。
私は赤塚さんから「理屈王」と命名されるほど理屈が大好きなのですが、
悔しいことに赤塚さんや出路さんの非論理的な世界、例えばAKDライブがもっているメッセージ性にはとても敵わないと思い知らされています。
・・・」(引用ここまで)
 舩井勝仁さんの文章、とても読みやすく素晴らしいので
月刊ザ・フナイ是非お読みください。
勝仁さんというのは、その状況の中から、どんな場面でも、
「最善」というものをすくい上げる天才です。
本編の「主幹・舩井勝仁から 女性の時代」
博多の歴女、白駒妃登美さんのことが書かれています。
伊勢神宮の月次祭の「伊勢の風を感じる会」で初めて白駒さんの講演を聞かれたそうです。
彼女こそ、プロ中のプロの講演家だと絶賛しておられます。
 五十鈴川で禊をし、大雨の中正装して夜の月次祭の奉観をさせていただき、
午前0時ころ修養団に帰ってから直会(なおらい)という名の懇親会が明け方まで続き、
翌朝は5時半起床、正装して神宮に正式参拝。
そのあと朝食をいただいてから、176畳もある大講堂で座布団を敷いての講演会。
椅子の生活に慣れた現代人にとっては決して快適な環境ではありません。
ほとんど寝ていない人たちを前に、このような大講堂で講演しなければならないわけですから、
講師としては、お世辞にもいい環境とは言えない状況でした。
 以下引用・・・
「私は、講演者の立場で考えるとこの後の白駒さんは本当に難しい立場での講演になると思いました。
白駒さんの直前の講師は時間をオーバーしながらも、伝えきるため時間を延長して話をされました。
聞き手の状況は最悪な上、前の講師はホームグラウンドということで気持ち良く講演しましたから、
聴衆はどうしても比べてしまいます。
しかも、時間が押している状況で、もし講師が自分なら逃げ出してしまいたくなるような状況です。
以前から白駒さんのことは存知上げていましたが、
講演をお聞きするのは初めてでした。
とても気の毒に思っていたのですが、想像を絶するほど素晴らしいプロの講演をされました。
私は、お話の内容よりもプロの講演家としての、
白駒さんの気概にまさに度肝を抜かれたのです。」(引用ここまで)
 はい、妃登美ちゃんの前の講師は赤塚高仁です。
 
時間をオーバーしたうえに、気持ち良さそうに調子に乗ってしゃべって、
ええ,
そうですとも、どうもごめんなさい。
 
 良い講演とは、時間内で終わる講演です。
 と、いうわけで、
女性の時代でございます。
月刊ザ・フナイをどうぞお読みください。
 
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