すめらぎの玉のみ声のかかる嬉しさ
京都の三条、京阪の駅のそばに高山彦九郎の銅像があります。
デミチは「何か謝ってるおっさん」と言ってますが、
京都の人でも、彦九郎が誰か知らないようですね。
上野国新田郡(群馬県の太田市)に生まれた、江戸時代後期の尊皇思想家です。
13歳のときに「太平記」を読み、勤皇の志に目覚めます。
18歳で遺書を残し、各地で尊皇の心を説いて回るのです。
上杉鷹山とも親交があったそうです。
京都を通るときには、三条の大橋から御所に向かって土下座をして遥拝しました。
彦九郎の志を伝え聞いた、時の光格天皇から呼ばれ、拝謁しました。
天皇のみ顔を直接見ることなどできませんから、御簾をへだててのことでしたが、
「彦九郎か・・・」と声をかけられ、どのような気持ちだったことでしょう。
そのときの彦九郎の感激を歌にしたものが、銅像の横に石碑として立っています。
「我を我としろしめすかやすめらぎの 玉のみ声のかかるうれしさ」
自分のことを天皇が知ってくださっている・・・いかばかりの喜びだったことでしょう。
彦九郎は生涯、火のように尊皇、忠孝をヤマトに伝え、46歳で自刃するまで日の本を燃やし続けました。
辞世の句です。
「朽ち果てて身は土となり墓なくも 心は国を守らんものを」
この火が吉田松陰に繋がってゆきます。
明治の維新へと脈々と流れてゆきます。
私たちが、学ばなければならない歴史とは「人」です。
先人の思いです、熱です、力です。
何年に何が起きたという「記号」を覚えさせられたところで、人生に何の影響があるでしょう。
昨日、私たちはすめらぎの玉のみ声を拝聴しました。
NHKという驚くべき赤い左翼の放送局は、「天皇生前退位の意向を強く表明」と必死にキャンペーンをはっているようです。
天皇の御思いがどこにあるのか、私たち国民は魂で受け取らなければなりません。
「天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで
天皇であり続けることに変わりはありません」
陛下はそう仰いました。
イエスは、キリストを降りることはなさいません。
私は、マホちゃん先生の父であることは生涯変わりません。
天皇は、国民の父です。
生前退位・・・いったいどこからこの発想がでたのでしょう。
新聞やTVを信じてはなりません。
「自分で考えよ」
わが師、糸川英夫の最後の言葉です。
ヤマト人として目覚めるときがきました。
天皇がなくなれば日本がなくなります。
日本が終われば、世界は滅びます。
皇室典範の改定によって今すぐに決めなければならないことは、ただひとつ。
戦後GHQによって潰された、旧宮家の復活です。
悠仁親王殿下が即位されるときには、皇位継承者が常に3名、
万世一系の男系としてつながってゆきますように。
私は祈ります。
ヤマトこそ、世界の灯明台だから。
日本が今回の文明の希望の光であることを、ヤマト人よ気づけよと、
魂の底から祈ります。