心の中にいる「子ども」
ワシは、子供の頃から道草ばかり食ってました。
通学路にあった、三重大学の弓道場。
小学校低学年、小さいワシは、大きなランドセルを背負って、冬の寒い日、雪の中でずッと弓道を見ていました。
気がつくと通学班のみんな誰もいなくて、ランドセルと帽子には雪が積もってました。
草むらで草を食べる散歩途中の犬は、消化を良くするためだと飼い主が言っているのを聞いて、道端の草を食べながら通学してました。
同じ通学班の子が、家で、道草食べてる子がいると言ったら、犬のオシッコがかかってるから汚いって、教えてあげなさいと、言われたそうで… ま、その子が、今、ワシの奥さんで、お母さんも、まさか道草男がムコになるとは思ってもみなかったでしょうが。
ワシ、ヤッパリ草食系男子なんやろか、 え、誰がヤギやねん!
心の中に、「潰し屋」と一緒に、「子ども」が住んでます。
「子ども」の影は、瞬時に頭を乗っ取ります。
もお、イヤだ!
思い通りにならない
めんどうくせぇ!
もうこんなとこいたくないよ~
ズルしちゃえ
スネる、甘える、ダダをこねる
そして、 もお、やぁーーーめた
この影には抵抗できません。
影は、エゴを餌として、どんどん大きく思考を乗っ取ります。
その間、エネルギーはじゃじゃ漏れ。
思考で、止めようとしても、思考そのものが自我から生まれてますから、勝てる相手じゃありません。
唯一の道、それは、気づくこと。
いま、自分の中の子どもの影がやってきていると、気づくこと。
何故なら、常に影は、無意識のうちに立ち昇って来るからです。
気づき、意識した途端、光が当たり、闇は存在できなくなる。
闇は、光に決して勝つことはありません。
「子どもの影」をよく観る。自分の闇に降りてみる。
もうイイです、ポイっと投げ出してしまうのは、自分の事だけしか考えていないとき。
「子どもの影」は、誰か他の人のために何かをするのが大嫌い。
でも、闇に降りて、光に出るとき、子どもの闇は光に変わり、大いなる好奇心、飽くなき探究心が湧き上がってくる、エネルギーが立ち上がってくる。
そして、手のひらを、もらうためより、あげるために使いはじめる。
今日は、東京澤田塾です。
自分の事を考えず、「みんなよくなりゃイイじゃん」と、惜しみなく命を人のために使っておられる澤田さん。
仲間の心の闇にまで、光が射し始めているようです。