白隠禅師の「ほう、そうか?」
白隠禅師の逸話を聞いたことを思い出しました。
どうして、この話を思い出したのでしょうね?
なんだか、人の噂話がちょっとだけ気になる日もあるのです。
心も波が立つものです、人は存在自体が波動そのものですから。
白隠禅師は、人々の尊敬を集めていて、大勢の人が彼の話を聞きに集まってきていました。
あるとき、寺の隣の十代の娘が妊娠しました。
怒り狂った両親に、子供の父は誰だと問い詰められた娘は、とうとう相手は白隠禅師だと答えたのでした。
両親は、激怒して白隠のもとに怒鳴りこみ、娘が白状した、お前が父親だそうだな、となじったのです。
白隠は、「ほう、そうか?」と答えただけでした。
噂は町じゅうどころか、近隣に広がってゆきました。
禅師の評判は、地に堕ちました。
だけど、白隠禅師は意に介すことはありませんでした。
誰も説法を聞きに来なくなりましたが、禅師は落ち着き払っていました。
赤ん坊が生まれると、娘の両親は赤ん坊を禅師のもとに連れてきて、
「お前が父親だから、お前が面倒をみるがいい」と。
禅師は、赤ん坊を慈しみ、世話をしました。
一年経って、慙愧に堪えられなくなった娘は、両親に言いました。
実は、赤ん坊の父親は、近所で働く若者だと。
両親は、あわてて白隠禅師のもとへ駆けつけ、申しわけありませんでしたと詫びました。
「本当にすまないことをしました。赤ん坊は、引き取らせてもらいます。
娘が、父親はあなたではないと白状しましたので。」
「ほう、そうか?」
禅師は、そう言って赤ん坊を返しました。
良くも悪くも、いまという瞬間をそのまま認めて、人間ドラマに参加しないこと。
起きる出来事を、個人的なものにしない。 誰の被害者にもならない。
起こった出来事に抵抗しようとすると、その出来事に翻弄されてしまうし、幸福か不幸かをよそから決められることになります。
エゴは、一瞬にして反応し、ワシを乗っ取ります。
ちょっと離れて、あるがままをみる。
今日一日、気をつけていたいものです。