奇蹟のバイオリン
我が師、糸川英夫博士がこの世に登場してから今年で100年になります。
博士は14年前に天に帰られました。
しかし、死後も天から大きくエネルギーを注ぎ、太陽系探査機はやぶさの旅を導いてくださいました。
真の愛国者でした。
国を愛するとはどういうことかを身をもって教えてくださいました。
最後のメッセージは、日本はイスラエルに学び、世界の灯台になるという預言でした。
86歳、死の間際まで、祖国・日本のことを憂い、希望を忘れずロジカルに解いてくださいました、宇宙の真理を。
日本が米国に戦争負けた時、日本は一切の航空機の生産を禁止されました。
糸川博士は、飛行機作りに命を懸け、陸軍の名機、97式戦闘機、一式戦闘機・・・この戦闘機が後に「はやぶさ」と名付けられます・・・そして、プロペラ機の限界に達した「鍾馗」
作り続けました。愛する祖国、日本のために。
イトカワ=飛行機
しかし、連合軍から飛行機製作禁止
すなわち、イトカワー飛行機=0
糸川先生は、自殺を試みます。
だけどそのとき、教え子の一人が、「糸川先生、世界一のバイオリンをつくってくれませんか」と頼みに来ました。
頼まれごとは、試されごと。
ストラディバリウス以上のバイオリンを、普通の価格で作ってみせよう。
糸川博士は、ありとあらゆるバイオリンの曲を分析しました。
そうしたら、モーツアルトもバッハも一番頻繁に出てくる音に共通点があったそうです。
作曲家の望んでいる音が、一番良く鳴るバイオリンを作ればいいと、博士は取り組みました。
博士は、自殺することも忘れ、バイオリン作りに取り組んだのです。
作曲家が求める音が一番響くバイオリンを作り
板も真空状態にして、何百年使い込んだ状況を人工的に作りました。
そして、45年かけてそのバイオリンは完成したのでした。
糸川英夫著、「80歳のアリア」世界で一つのバイオリンのこと、詳しく書かれています。
糸川英夫生誕100年
この奇蹟のバイオリンが、発見されました。
ワシ、このバイオリンを信州に届ける役を、仰せつかりました。
東京のある場所で発見されました。
7月20日 博士の誕生日に糸川先生の終の家、信州丸子町の家でこのバイオリンに再会できます。
前例がないから、やってみよう
奇蹟のバイオリンは、日本人に沢山のメッセージをつたえてくれることでしょう。
来て、見てください。