ええトコどりという落とし穴
糸川博士のところに通い続けていたある日
「あなたね、イスラエルに行きませんか」
ゼネコンをやめて、病気から立ち直りつつあり、経済的にも厳しい時でした。
今は難しいので、次の機会に誘ってくださいとお答えしました。
29歳の年末、出発は2週間後の事、費用は100万円ほどかかります。
「あなたね、人生には次のチャンスなんてないのよ」
会社の仕事があるから、年始に二週間休むなんてできないと重ねて断りました。
「あなたね、あなたが二週間いなくてダメになる会社なら、一生頑張ってもダメだから、早く潰した方がいいわね」
大事な友達の結婚式があって、スピーチを頼まれているからイスラエルには行けないです。
恐ろしいことに、ワシは師を三度も否んでしまいました。
「誰の結婚式?」
糸川博士は、ワシの目を覗き込んで聞いたのです。
これでおことわりができるかも、と、大事な友達の結婚式なんです!とチョット力を込めて返事をしました。すると、
「あなたね、あなたのつまらないスピーチなんてだれも聞いてやしないわよ。
でもね、エルサレムからお祝いの電報打ってみなさいよ。
大事な友達の記憶に一生残りますよ」
何人か通っていた仲間の中で、ワシ一人がイスラエルに行かせていただいたのでした。
旅をするのは、一生つきあえる友を得るためだよと砂漠の中で糸川博士はワシに話して下さいました。
糸川英夫博士は、ワシの人生の師となってくださいました。
この世の中に、「先生」はいっぱいいます。
有益なこと、得を与えてくれる先生を多くの人は求めます。
しかし、損得と利害関係は、エゴの世界です。
どこまで行こうと、自分の頭の中から出ることは出来ないでしょう。
それに比べ、師匠とは、例え理不尽なことがあろうとも、白いものを黒だと言われても、
「ハイ」か「イエス」で応える相手。
そこにはええトコどりはありえません。
自我を超えて自分を見る。
そんな出会い、痛い関係、それが神様が宿る恵みの世界なのかも知れません。