八八会
29歳の時、JC(青年会議所)に入会しました。
28歳でゼネコンを辞めて地元に帰り、異業種交流、人脈つくりの思いもありましたから。
1988年入会なので、八八会と呼ばれます。
どうも、他の入会年度のメンバーは同期の桜意識はあまりないようで、八八会は異色の集まりのようです。
JCに入ったおかげで、ある成功哲学のプログラムと出会い、その会で知り合った社長が糸川博士に紹介してくれたのですから、
縁というものはわからないものです。
糸川英夫博士に弟子入りして、東京に毎月のように通うようになったある日、博士からこう聞かれます。
「あなた、JCって何の略か知ってる?」
・・・青年会議所、Junior Chamber・・・でしょうか・・と答えかけると
「ジョッキ クラブよ。 いつも乾杯ばかりしてるでしょう。
何度か講演に呼ばれたけど、聞く態度は悪いし、講演終わったあとの飲み会のことで頭一杯。
ちっとも勉強しようとしない」
この言葉に後押しされて、ワシは一年半でJCを退会するのですが、不思議なことに八八会にはずっとつながっております。
いい友達です。
JCは40歳までなので、いまでは全員卒業してますが、中退者はワシ一人です。
みんながJC活動してる時、ワシは糸川博士とイスラエルの交流のお手伝いをしておりました。
秋山木工の秋山社長やハワイのリキさんは、そのときに仲良しになりました。
さて、夕べは、最年長の桜井さんがとうとう還暦ということでお祝い会。
4年ぶり会合のでしたが、24年前にタイムスリップ。
津に帰ってきたばかりの頃、夢と不安が入り混じり、でも、熱い想いが湧かされてならなかった若き日々。
朝まで飲んだものです。
でも、思い出話はありません。 だって、ワシ、一年半しかいなかったのですから。
今に生きてるみんなだからいいのです。
そこが単なる同窓会や、大学の校友会と違うのですよ。
それぞれの現場で、経営者として一所懸命戦ってるから。
そんな調子で日本酒をかぷかぷ飲んだものですから、なんと意識を失ってしまいました。
日頃澤田ファミリーで飲む時は、緊張していますから心から酔ってないのかも知れません。
恐ろしいことに、途中から全く記憶がありません。
誰が送ってくれたのでしょうか、家に帰ってました。
朝までソファーで寝てました。
変わらないメンバーだけど、西出君の髪の毛はなくなったし、ワシの頭も白くなったし
お酒もすっかり弱くなりました。
きっと死ぬまでの付き合いになる、不思議な会。
出会えてよかったわ。