魚には水が見えません
2012.11.30
魚と話をしたわけではありませんが、ワシが思うに
海の中で生まれ育った魚には、海がわからない。
この魚は、海の外に出ない限り、永久に海の姿を見ることはできないのです。
もしも、海の外に出たとしても、魚は息が出来なくなって、苦しくなるでしょう。
同じように、ずっと同じ会社にいる人もその会社のことわからないし、
幸せに満ちあふれて育った人も、幸せの外に出ない限り、幸せというものがわからないのかも知れません。
当たり前は、ありがとうの反対なのです。
先日、苫小牧のHさんから電話をいただきました。
毎日、ワシのブログを楽しみにしてくださっているそうです。ありがたいことです。
お電話をいただいた前日に、お兄さんが交通事故で即死なさったそうです。
気持ちの整理は、とてもつかないけれど、澤田さんの言われる
「毎秒毎秒命懸け」目の前のことを全力でやることで救われています、と言われました。
今日一日、病気や事故にあわず、ないげない日常を過ごすことができたのは、
奇跡の連続と言っていいでしょうか。
目が見える、耳が聞こえる、しゃべれる、息ができる、自分の足で歩ける・・・
普通の生活ができることが、どれほどありがたいことか、幸せなことか。
家族や友人、仲間がいるってことがどれほど恵まれていることか。
そんなふうに気づくことを幸せというのかもしれません。
幸せを手に入れようとあくせくするのではなく、すでにたくさんの幸せの海の中にいることがわかったら、
感謝しかなくなるのでしょうね。
気づいた瞬間、100パーセント幸せですね。