さらば守屋さん
守屋さんと出会ったのは、三重幕屋の集会でした。
志摩に住んでいた守屋さんは、一本も歯がなく、それでもいつも笑っている人でした。
キリストの集会で出会ったのに、守屋さんはずっと天理教の信者さんでした。
どうやら生まれは山陽地方のようですが、過去はよくわかりません。
どこかに奥さんだった人もいて、大きくなった子供もいるようなことも聞きました。
車で寝起きして、その車でたこ焼きをやいて売っていました。
うちの事務所の駐車場の隅でたこ焼きを売らせてくれというので、毎週水曜日はたこ焼き屋さんになって、いつの間にか固定客がつき、
タクシーの運転手さんも毎週買いに来るようになりました。
ワシも、毎週水曜日はたこ焼きの日、お好み焼きも焼いてもらいました。
去年の夏から、うちの会社の現場の片付けや資材の運搬を手伝ってもらうようになりました。
そのうち庭の剪定や、ちょっとした大工仕事や塗装なんかも上手にやってくれるようになったのです。
澤田さんのセミナーで配る生体エネルギーのコースターも守屋さんが上手に作ってくれます。
歯のない守屋さん、とにかくいつも笑っています。
人の悪口、陰口、不平不満、泣き言、文句・・守屋さんの口から出ません。
いつの間にか、我社のかけがえのない人財となっていました。
何も言わなくても、現場が散らかっていたらキレイにしてくれ、空き地は草刈りしてくれる。
黙って、人の嫌がる作業でも黙々とやり続けてくれます。
床下にもぐってホウ酸撒いてくれたり、どろどろになって作業してくれる。
それでいてキリストの集会では、一緒に聖書を読み、賛美歌を歌い、祈る兄弟です。
その守屋さん、21日の月曜日をもって赤塚建設をやめて、志摩で真珠の仕事をするそうです。
いままですぐそばにいてくれたから、そこにいるのが当たり前のことだと思い始めていましたが、
いなくなってみて本当に助けられていたこと、改めてかみ締めます。
68歳の守屋さん、
守屋さんの未来に幸あれと祈ります。
歯医者さんに行って総入れ歯をつくってもらった守屋さん、少年のような顔になりました。
出逢いと別れを繰り返しながら、人生という旅は進んでいきますが、
出逢いを通して、ひとは自分に出会っていくのでしょうか。
さよならだけが人生さ、と太宰治は言いました。
入江さん、お気に入りの財布と全てのカード、免許証類、そして守屋さん・・・
よーーーーし、この際もっともっとサヨナラをして、スペースを作りましょう。
古い社屋ともさよならしよう。
築43年の赤塚建設ビルヂング、大改修することにします。
太陽がいっぱいのその日が目の前ですから。
そうです、もうすぐ春ですねぇ~ なのです。