宗教と信仰
人の歴史の中で、神の声を聞き真理を見出した先人が多くあります.
ところが、真理を見つけた人が、それを残そうと言葉にするときに教祖が生まれ、
真理が腐って宗教というものになってゆくようです.
そのことを知っておられたのでしょうか、
仏陀もイエスも御自身では言葉を残してはおられませんね.
日本の神道は、海外からは教典もないから宗教ではないといわれますが、
ワシは、これこそまことの真理ではないのかなぁと思うのであります.
それは、さておき
糸川英夫博士に 「宗教って必要でしょうか?」と聞かれたことがあります.
科学者でしたが、聖書に仏教、あらゆる宗教に精通しておられた先生でした.
「宗教は人間には必要です
その理由は三つあります.
一つ目は、目に見えない世界への関心をうみます.
あの万有引力を発見したニュートンは、リンゴが枝から落ちるのをみて、どれだけ高い木の枝からでもリンゴは落ちるのだろうかと想像しました.
ずーっと上の方にあるリンゴも落ちるだろうか・・・では、どうして40万キロ上にある月は落ちてこないのだろうか?
神が作られたこの宇宙、地球と月の間にどんな法則がはたらいているんだろうか?
ニュートンに信仰がなければ、そのとき万有引力は発見されなかったかもしれません.
二つ目は、人生の中でどうしても解決できない悩み、苦しみから解放される助けになります。
とりわけ、死の問題は科学的に解き明かしても人の心を安らげることはできないかも知れません.
三つ目は、道徳心です.
誰も見ていないから、誰にも知られなければいい、そんな心が人間にはありますが、
いつも神様が一緒にいてくださると知れば、人の行動は変わります.」
ふっと今朝はそんなこと思い出しました.
本当に多くの言葉をいただいています.
言葉という種が、道ばたにまかれれば鳥に食べられてしまいます.
種が石の上にまかれたら、根が伸びずにかれてしまいます.
いばらの中ではそだちません.
種を蒔くにふさわしい土地となりたいものです.