知識と智慧
澤田一家の盃をうけて、一年と少しの時が流れました.
これまでの自分の歩みとは、少しばかり違った人生に入れられたといえましょうか.
これも、天の恵みと感謝します.
「どーも
どうですか、ちゃんと仕事をしてますか
あのお客さんはどうなりましたか? ・・・」親分は、小さなことまで覚えてくれていて、
ワシの会社の細部にまで気を配って下さいます.
一本の電話で、身が引き締まる思いがするのです.
「アカツカさんさぁ、本をたくさん読むって、いいことばかりじゃないよね.
誰かの言ったことに振り回されて、自分を見失ってさぁ
ドラッガーについて話してる奴で、まともな人みたことないよ.
最近オレ、本を読むようになったけど、それまで本当に読まなかったの.
知識ってさぁ、過去じゃん
生ゴミみたいな過去の知識で一杯になっても、今を生きる力にはなんないよね.」
どうして親分はいつもエネルギーに満ちてるのか?
その秘密が昨日の電話で垣間見えたように思えます.
過去には後悔、未来には不安、どちらもエネルギーの場ではありません.
長くとどまるときエネルギーは、じゃじゃ漏れしてしまいます.
アタマが過去にとらわれて、エネルギーじゃじゃ漏れのまま何かを求めても、
風呂の栓が抜けたままお湯をいれてるようなもので、ちっともエネルギーは満ちない.
将来の不安も同じことですね.
親分のように、瞬時に「イマココ」の住人に帰って来なきゃいけない.
エネルギーの場とは「今」と「ここ」
親分はある方程式を教えてくれましたが、まさにそれが親分のぶれない秘訣と知りました.
情報や知識というノイズでいっぱいになったアタマをスッキリさせ、
今ここに吹いている風を感じたい.
そして、魂から湧き上がってくる内なる声に聞き従うとき智慧がうまれるのでしょうか.