黄砂が飛んできた
朝、自動車のフロントガラスに埃が積もっているようにみえます。
西の鈴鹿山脈が霞んでみえます。
黄砂です。
春になるとやってくる、大陸からの便りでしょうか。
でも、このごろはそれに乗っかって怪しげな汚染物質まで飛んできているようです。
人が作った国境は、水や空気には関係ありませんものね。
ずっと昔に、初めて太平洋を渡って米国に行ったとき、アナウンスで「ただ今、赤道を通過しました」と言ったので、
ワシが、窓から下をのぞきこんで
「へ~あれが赤道か~」
と言ったら、まわりの人みんな下を見て、探してましたね。
プールに浮かぶ仕切りのような、赤い線があるかのように思っていたのかも知れません。
もちろん、そんなものどこにもありませんし、国境も実際には上から見たらありません。
地球の外側に出て、帰ってきた冒険家たちは何か大きな力に触れて、例外なく生き方を変えています。
「個」がなくなり「つながり」に目覚めるときに、人は新しい次元に足を踏み入れるのでしょうか。
今朝もキリストの幕屋で、旧約聖書・ヨシュア記と新約・ルカ伝14章を読み祈りました。
ルカ伝は、例え話の宝庫です。
今朝学んだところには、こんな話がありました。
ある人が、イエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。
そこでイエスが言われた。
「ある人が盛大な晩餐会を催して、大勢の人を招いた。
晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って「「さあ、おいでください。もう準備ができましたから」」とい言わせた。
ところが、みんな一様に断り始めた。
最初の人は、「「わたしは土地を買いましたので、行って見なければなりません。どうぞ、おゆるしください」」と言った。
他の人は、「「わたしは牛を買いましたので、それをしらべにゆくところです。どうぞ、おゆるしください」」
もうひとりは、「「わたしは妻をめとりましたので、参ることができません」」と言った。
僕は帰ってきて、以上のことを主人に報告した。 すると家の主人はおこって僕に言った。
「「いますぐに、町の大通りや小道に行って、貧乏人、不具者、めくら、足なえなどをここに連れてきなさい。」」
僕は言った、「「ご主人様、仰せの通りにいたしましたが、まだ席がございます」」
主人が僕に言った、「「道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりに引っ張ってきなさい。
あなたがたに言っておくが、招かれた人で、私の晩餐にあずかる者はひとりもないであろう」」 」
わずか3年間地上で神の国を説き、33歳の生涯を終えた一人のイスラエル人のメッセージが、黄砂とともに飛んできた。