今野華都子という現象
初めて出会ったのは、名古屋の経営者の集いABCフォーラムのメンバーで伊勢志摩を旅し、タラサ志摩に泊まり、社長であった今野華都子さんの講演を聞かせていただいたときでした。
熊本の大野勝彦さんからも今野さんのお名前はうかがっていたので、お会いしたいなぁとおもっていましたから。
何という凛とした、涼やかな気配の方だろうというのが第一印象でした。
しばらくして伊勢で講演をされるときに参加しようとしたら、クローズな会でしたので受付で 「弟です。」と言って潜り込んだものですから、以来兄弟姉妹の付き合いとなりました。
ログハウスに泊まりにきていただいたり、熊野古道を巡ったり、何度も伊勢に一緒したり、不思議に御縁は深まってゆきました。
もともと宮城県の酪農家に嫁いだ華都子姉さん、身体が弱くて死にそうな経験を何度も通りながら、40歳を過ぎてエステティシャンへの道へと導かれてゆきます。
目の前の人を幸せにする。
その想いで勉強を深め、何と数年で世界一のエステティシャンの賞を獲得するのですが、それはミラクルの序章に過ぎなかったのです。
華都子さんの仙台の友人夫婦が、普通の主婦が世界一になった物語を話してと頼むのですが、人前で話したことなどない華都子さんは、ためらいます。
でも、頼まれごとはハイかイエス! 今野華都子講演会が仙台でひらかれました。
その講演会の最前列にいたのが五日市剛さん。
五日市さんは、自分の人生に最も大きな影響を与えた一人として今野華都子さんのことを伝えるようになり、後に二人の対談が本になりベストセラーとなるのです。
そして、その講演会場にはもう一人の人物が。
西武グループから買収した世界でも類のないタラソテラピー施設、タラサ志摩は、当時ANAが運営していましたが、毎年10億近い赤字を累積していました。
舞台の袖から演台まで歩く今野さんを見た瞬間に、その人は、タラサの社長に今野さんを迎えることを決めたそうです。
超有名、カリスマホテルマンが送り込まれては、早ければ一月、何人もが一年持たずして志摩を去って行ったといいます。
華都子さんは、主婦がエステティシャンになりましたが、ホテルの経営などわかりません。
サッカーのルールも知らない人が、Jリーグの監督になるみたいなものでしょうか。
さすがに簡単に引き受けられる話ではありません。
でも、すべての出来事が華都子さんを伊勢に導いてゆくのです。
結局、あの巨大ホテル、タラサ志摩の社長になるのです。
そして、わずか3年で黒字に転換させるのです。
その頃の今野華都子さんと出会うのですが、日本中講演会で駆け巡り、予約があればエステティシャンとしても施術し、洗顔教室を全国に広め、本を書き、風のように生きておられました。
タラサ志摩にいるときは、真冬でも夜明け前にホテルの前ある海に入り、禊ぎ、今日一日神様の願いに叶う生き方をさせてくださいと祈っておられました。
タラサ志摩の社長を離れ、自給自足、農業をしながら顔を洗う、心を洗う洗顔教室を目指しているときにあの大震災。
仙台でそこにある神の意志をうけとり、今野華都子さんの新たな活動が始まりました。
そんな華都子姉さんが、大和魂を振起する会の呼びかけに応えてくれました。
会の翌日にも、二人きりで三時間ほどかたりあいました。
魂が喜ぶ生き方を思い出させてもらえたような気がします。