神の声か、アタマの声か
これまでに11回イスラエルに行っています。
師匠の糸川英夫博士が、日本のために本気で活動しておられたからです。
300人を超える人をお連れしたでしょうか。
今思えば、奇蹟のような出来事です。
ある時、開業しているお医者さんが、糸川博士と一緒にいかせて欲しいと、
イスラエルツアー申し込まれました。
当時のツアーは、2週間コースでした。
旧約聖書時代、新約聖書イエスの足跡、そして、建国された現代の奇蹟のイスラエル。
盛りだくさんですが、その場所で聞く糸川博士の講義は、震えるほどの感動が今も胸によみがえります。
そのお医者さん、出発の直前にキャンセル。
やっぱり病院を二週間空けられない、とのことでした。
ところが、その後すぐ、そのお医者さん入院して一ヶ月、病院はお休みでした。
ワシは、お見舞いに行って 「二週間はダメでも、一ヶ月ならよかったんですね」 と実にヤナ嫌味を言ってきたのでした。
ワシらの中には神様がいて、みんな、誰でも、人間は。
と、ワシは思っているのです。
で、 「イスラエルに行きたい」というのは、内なる神様からの指示なのです。
だから、そういう気持ちが起きるんだったら、行ったらいい。
だって、ワシが初めてイスラエル行ったときは、まさに神の声でした。
いける状況はどこにもありませんでしたから。
でも、それからの運命は、変わりました。
アタマの声、常識、世間の声を聞く時、自分だけにしかない神の声が聞こえなくなるのでしょうね。
神の声とは、人間の声として聞こえるのではなくて、ひらめきだったり、好きになったり、歩いている時に流れてくる歌に込められたメッセージだったり、本屋の棚に並んでいる背表紙のタイトルだったり。
その神の声、お告げは、ひとしくみんなにきているはずです。
何故なら、神様は、無条件、無差別、無制限、そして一方的だからです。
良い方に、本来あるべき道に導いてくれようとしています。
神様は、愛だからです。
ところが、ワシら人間が常識というアタマで耳をふさいでしまっているのですね。
え、イスラエルが本来あるべき道かって?
ふと思って、ワクワクして、喜びがわく選択に従って来たら、本業でも
「神様が宿る家」に出会わされたでしょ。
神の声です。
今月30・31日の土日曜、津市乙部で完成体感見学会です。
これを見た津に住んでる二世帯住宅を考えてるお方、これ、神の声ですぞ。