人格落第人間
「人として人格的にはかなり劣っている」と、今朝のブログで澤田さんはご自分のことを書かれています。
とんでもないことです!
人格落第人間だなんて!!
そんなバカな!
澤田さんが、伊勢神宮の神官たちを馬鹿にしたり、天皇陛下のことを「俺の税金で食わしてやってるんだ」と
言われたりするのは、澤田さんの人格のせいではありません。
権力や、権威や、神聖なるものに対して抵抗をするという心の傾向が、澤田さんにあるからだと思います。
伊勢神宮に仕事仲間を半強制的に呼びかけて欲しいと依頼あったそうですが、
それが誰かは知りませんけれど、ワシはお願いした覚えありません。
できれば、お行儀の悪い人は行かないでくださいと願っているくらいですから。
常に敵を作り続ける。
そして、戦いの構図の中でしか生きている実感を得られないという魂の傾向がある方がいます。
本人も、周囲も疲弊し、そのグループは崩壊するというのが歴史の法則のようです。
これも人格ではなく、心の傾向かも知れません。
ウォーリアー・戦士という元型を持ち、アジクト・中毒者、そしてキング・王国を作るものという元型が絡み合うイメージが浮かび上がります。
ワシは、自分の意見を人に押し付け、自分と同じにならなければ怒ったり、脅したり、すねたりします。
これは、心の中の子供の元型、傾向です。
そして、自分が苦しいのは、誰かのせいだ、と、犠牲者の影が立ち上がり、怒りが湧きます。
でも、しかたない、生きてくためにはしかたない・・・と心の中の売春婦がワシを乗っとります。
性格でも人格でもありません、傾向です。
人格とは一切関係ありません。
実は、これがとても大切なことだと思えるのです。
子供の元型を性格だと思い込んでいたワシは、自分が嫌で、自分を裁き、常に深く落ち込みました。
自分には自分を変える力なんてない!
そう思わせるのも、実は「潰し屋」という元型であり、性格ではなく傾向なのです。
しかし、潰し屋に乗っ取られてしまったワシは、あたかもそれが人格の如く固まってしまい、
澤田さんのように、エネルギーが外に向かわない分、内側へ内側へと向かい、ついには自殺未遂も何度か実行したほどです。
しかし、親友のデミチの紹介で出会わせてもらった、心理学博士・岩田静冶先生から、
「高仁さん、あなたの心の闇と性格はまったく無関係や、一切人格とは関係ない」
と腑に落としていただき救われたのが、いまから3年前のことでした。
この心の闇、元型は生命が誕生して以来、ずっと遺伝子に刻み込まれたもののようですから、38億年の歴史があります。 その闇に対して、プラス発想や、たかが数十年の人生経験でコントロールできるはずがないのだと教わりました。
自分の闇に「気付く」こと、それだけです。
澤田さんの素晴らしいのは、どんな人より「素直」であるところでしょうか。
あ、そうか! と気付かれたことは即行で変える「勇気」を持っておられます。
それを「行動」に移す実践力も尋常ではありません。
成功する人とは、こういう要素を併せ持つのだということを見せてもらえるのは幸いですね。
ただし、人格落第ではなく、傾向なのだ。
人格とは、一切関係ありません、なのだ。
だから、これでいいのだ!