70歳の青年
ワシが29歳のとき、東京は世田谷にあった糸川英夫博士のご自宅を訪問しました。
小さな塾をひらいておられ、聖書をテキストにした講義でした。
10人ほどの集まりでしたから、今から思うと、本当に不思議な御縁だったのですね。
糸川門下では、全員平等。
地位や名誉、年齢性別、糸川博士は一切問われませんでした。
糸川塾は無料、それどころか食事をふるまい、ワシは毎回博士の家に泊めてもらってました。
三重から東京へ、車で通いました。 若かったあの頃、出逢いが運命を変えてくれました。
求めなければ得られませんが、求めたからといって恵まれるかどうかはわからないのが「縁」の不可思議さ。
やはり、人と人との出会いには、目に見えない大きな力が働いているとしか思えないのです。
その集まりにいつも出席されていたのが、秋山木工の秋山利輝社長。
天皇陛下の家具を作ったり、三越の高級家具、一流ブランドのショウルームの調度品・・・秋山さんのところで作ってることは後から知りました。
当時、秋山さん45歳。
以来、25年のお付き合いをさせていただき、二人のお嬢さんの結婚式ではワシは、司会をさせてもらいました。
妹のナナちゃんは、披露宴をワシんとこのログハウスでしたのでした。
最愛の奥さん、史さんが病気で亡くなったとき、お棺にすがりついて「俺も一緒に焼いてくれ」と泣いてた秋山さんでした。
再婚相手は、ワシの友達で、彼女が秋山さんに惚れて、岐阜の実家を飛び出し秋山木工で働きだしたのです。
一年ほど経ったころだったでしょうか、彼女の心を知ってるワシは、二人を呼び出し、秋山さんに迫りました。
「秋山さん、このままだと彼女が不憫でならないから、はっきりカタをつけてよ。 きちんと岐阜の両親に挨拶してきてよ。」
すると、「赤塚さん行ってきてよ」だって。
ワシは、なぜか彼女と一緒に岐阜の両親のところに行ってきました。
考えてもみてください、30代の未婚の娘が自分(お父さん)より年上のオッサン(当時63歳でした秋山さん)と結婚するってホントウですか? ですよ。
え、どうなったって? そりゃもう大反対で、両親はおろか二人の妹までそろってめちゃくちゃ怒って、ワシ、生まれて初めて針のムシロというものに座らされた・・・でも、なんで? ワシが怒られるん?
ま、そんな中で一所懸命秋山さんのいいところ話し続けて、とぼとぼ岐阜から帰る道、秋山さんに状況報告すると、第一声「赤塚さん、ダメじゃん、 あなた、影響力ないね~」やて。 プチン 切れるでまったく。
ところが、縁というのは全く異なもの、味なもの。
ふたりは結婚し、いまでは二人の息子に恵まれて、幸せに暮らしているとさ。
その結婚式の司会、ワシがやりましたから、秋山家のグランドスラム達成であります。
「70歳になったお祝い会をやるから、名古屋方面の仲間を集めといて。」
相変わらずのジコチュー秋山節。
東京では、すごいメンバーがお祝い会にかけつけてましたね。
世界のプリマドンナ・森下洋子さん、歌手の小椋圭さん、築地すし好の成田社長・・・
中部は、糸川博士に縁あった10数名の親友が桑名に集結してお祝いをしました。
今年も新しい丁稚13人が入って、若者と一緒に生活している秋山さん。
孫より小さい息子二人に手を焼きながら、目を細める秋山さん。
若いときより、今が一番幸せだ、歳をとるといろんなことがわかって、本当に楽しいという秋山さん。
僕には、目標があるんだ、わかる? それは、日本を良くすることなんだと目をキラキラさせる秋山さん。
あと子供何人つくれるかな~ とまじめに考えてる秋山さん。
まちがいなく、世界はあなたを中心にまわっているよ。
70歳の青年、生き方はみんなちがってみんないいね。