赤塚高仁ブログ

水屋神社

2013.04.19

 松阪市飯高町に水屋神社はあります。

鎮守の森にふさわしい、それはそれは美しいたたずまいの神社です。

奈良の春日大社のお水取りにこの水屋神社の湧き水が送られているという、由緒正しき神社でもあります。

御本殿の裏側に、樹齢1200年を超える大きな楠があります。

日本の巨木16位にランクされていたと記憶しています。

屋久島の縄文杉や鹿児島の大楠らと肩を並べる素晴らしい御神木です。

まさに神様が宿る樹です。

龍村仁監督の「ガイアシンフォニー第7番」に堂々と登場してますから、心に留めてください。

 

 その水屋神社、ワシの魂の姉の実家でありまして、ワシにとっても魂のふるさとのような場所なのです。

5年ほど前に、神社の一角に六角堂を建てさせてもらいました。

イスラエルのガリラヤ湖畔で示された形です。

杉の木立の中に、天から降ってきたような不思議な建物になりました。

柱は見えず、中にはいるとコクーン(繭)の中にいるような言葉に出来ない安心感に包まれます。

マリア観音と名付けられた観音様と向かい合い、その空間に座っていると意識が拡大するのです。

初めてこられた方が、号泣される姿を何度も目撃しました。

木内鶴彦さん、デミっちゃんと三人でお堂の中で祈っていたら、お堂の周りを3匹の龍がぐるぐるまわりました。 ビックリしましたが本当のことです。

三人同時に体験したのですから、ビックリです。

 

ワシの魂の姉はふたりおりまして、一人の姉の娘が統合失調症になって近鉄電車に飛び込みました。

明るくて元気で自慢の娘だったから、ワシもショックでした。

もう一人の姉のお父さんは、大東亜戦争のときパラオのペリリュー島で軍医をしており、玉砕の島から生き残った唯一の三重県人でした。 

「軍医殿、軍医殿」という戦友たちの声で、亡くなる時まで夜中に目が覚めると言われてました。

その姉の実の妹さんは大臣の妻となりましたが、首をつって死にました。

大切な人たちの魂の救済を願って、ペリリューにおられたお父さんが観音堂を建て、そこに観音様をまつりました。

奈良の山奥のその観音堂もワシが建てさせてもらったのですが、お父さんが亡くなると誰も管理が出来ず、朽ち始めてゆきました。

観音様の行く先がない・・・そんなときに、水屋神社の宮司は迎えてくれたのです。

神社に観音様なんて!!と氏子たちの反対運動もあったのですが、

宮司は、「諸宗教和合、世界平和、敵味方無し」と、立ちはだかり観音堂、観音様を守ってくださいました。

いつもリラックスしてる久保宮司は、「神道イズ フィーリング」と笑ってます。

 

 新緑の季節、飯高は緑が萌え魂が潤う場所です。

大楠に、観音様に会いに行ってくださいな。

それから、御本殿が遷宮を迎えて建替えられております。

是非、御寄付もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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