複写ハガキの世界
29歳の時ですから、いまから25年前の7月23日、複写ハガキの坂田先生のお出会いいただきました。
一枚のハガキを複写にし、カーボン紙をはさんで残してゆきます。
自分の日記でもあり、歴史でもあり、遺書とも言え、紙の墓のようでもあります。
ところが、頑固で強情なワシは、初対面の坂田先生に
「手紙というものは、この世にひとつだから大切なんじゃありませんか?
複写して残す意味を教えてください」 と言いました。
すると、坂田先生はひとこと 「あんた、書かんでもええよ」
そばにいた友人がワシに複写ハガキを差し出すと、坂田先生
「やらんでええよ、もったいないけん」
その日が、ワシの処女ハガキ、一枚目書き初めでした。
「書かん人は、質問する権利がないよな、
書く人は、質問する必要がなくなるよな」
広島の田舎の百姓だった坂田先生、実に多くの人たちに影響を与え続けています。
この複写ハガキで、ワシはイエローハットの鍵山さんと親しくなり、イスラエル、シリア、レバノン、ヨルダン、敦煌、上海とともに旅する仲にまでならせていただきました。
複写ハガキ一冊が50枚ですから、これまで201冊、一万枚の複写ハガキを書かせていただきました。
しばらく忘れていましたが、また書きたくなりました。
前よりもっと、大切なものがわかるような気がします。
それは、坂田先生の「城山だより」をいただいたからでしょうか。
「争いには参加しないこと避けること。 避けられないならば 争いごとには負けるようにすることですね。
損をすることです。 それが子孫が栄える秘訣のようです。」
「ありのまま 自分の周りのものを「すなお」に見えるようになってきますと それはすべて教えであることが分かります。 人様が物様が音を立てて教えてくださっている姿が私たちの廻りです。
すべてにありがとうございます の心です。」
「いくら小さくて 過酷で しんどくて 粗末に見えても 命に恵まれて縁があるということに 限りないほどの感謝
有りがたさを持たないといけないと人生は静かに教えています。 あれもこれもあればいいという思いはもっての外のようです。」
渇き、くたびれた魂に 命の真清水のように染み入る坂田先生の言霊です。