豊かさ
連休中にエックハルトのニューアースを開きました。
心に響いた一節です
「自分を何者だと考えるかは、他人にどう扱われるかとも密接に関連する。
多くの人が他人に不当に扱われていると不満を抱いている。
「自分はないがしろにされている」と
こういう人は誰かに親切にされると、相手は自分に下心があるのではないかと思う。
自分には与えるものが何もなく、世界は物惜しみをして自分の必要なものを与えてくれないと信じている。
自分が考える自分に欠乏がある・・・お金でも、承認でも、愛でも・・・という考え方がしみつくと、常に欠乏を経験する。
豊かさとは、すでにある自分の人生の豊かさを認めること、それが基本だ。
世界が、人が、自分に何も与えてくれないと思っているが、実は自分が物惜しみをして、世界に与えないでいるのだ。
なぜ、物惜しみをするかというと、自分は小さく無力で、与えるものなど何もないと、奥深いところで信じているからだ。
次のことを何週間か試して、結果がどうなるかをみていただきたい。
人々が物惜しみをして与えてくれないと思っているもの・・・賛辞、感謝、援助、気遣い等々・・・を自分から他人に与えるのだ。
そんな持ち合わせはない? あるようにふるまえばいい。 そうすれば出てくる。
そして、与え始めるとまもなく、与えられるようになる。
与えないものは受け取れない。
出力が入力を決める。
世界が与えてくれないと思っているものは、あなたがすでにもっているのに出力しようとしないもの、それどころかもっていることを知らないものだ。
その中に豊かさが含まれる。
すべての豊かさの源泉はあなたの中にある。 あなたの一部なのだ。
自分に終始問いかけてみよう。
「ここで私に何ができるだろうか。 どうすればこの人の、この状況の役に立てるだろうか」 と
何も所有していなくても豊かさは感じられるし、いつも豊かさを感じていると、豊かさは向こうからやってくる。
豊かさはすでにもっているいる人にだけ訪れる。
これが普遍的な法則で、豊かさも乏しさも内面的な状態で、それがあなたの現実となって現れる。
イエスは「もっている者はさらに与えられ、もたない者はもっているものまで取り上げられる」と言った。」
んーーーー 何度読んでも、あっという間にもとにもどる。
それでも、何度でも何度でも初めに戻ってもう一度。