神様が宿る町
1999年2月21日 糸川英夫博士昇天
その年が、ワシの「定期借地権」事業のスタートの年になったのでした。
「前例がないからやってみよう!」が糸川先生の生涯のテーマでしたから、誰もやったことのないこの仕事に懸けてみようと決めたのでした。
そのときまでも、いくつもの町を造ってきました。
土地を仕入れて、美しい街並みをつくりたいと願いましたので。
・・・ところが、土地を買った残りの予算では本当に思い通りの家は建たない・・・ことが多い。
どうしたらいいか・・・
悩みに悩みましたね
そして出会った 「所有」から「使用」へ
土地は買わないで、使わせてもらって土地代を建物にまわすのです。
誰もやったことのない、新しい価値観の創造でしたから、最初の三年間は本島隊員と門前払いの日々でした。
最初の一棟ができるも、見学会にはひとりも来場なし。
もはやダメかと思いましたが、大事なのは、このシステムでもなく、土地でもなく、本当に素晴らしい住まいだと気付かされたのもこのときでした。
圧倒的に差がある家を生み出さなければならない。
だから、ロサンゼルスのデザイナーと契約し、「美しくなければ家ではない」をコンセプトに走り出し、
定期借地住宅を津の街に生み出してきました。
初めて伺ってから、土地を貸していただけるようになるまでに7年間かかった Hさまがおられます。
津の新町駅から歩ける距離にある一等地を貸してくださいました。
造成も完了して、スタンバイOKです。
しかし、そのときにワシが、上に建てる住まいを大幅に変えるときがきていました。
しかも、澤田ファミリーとの激動の日々・・・ 具体的な提案も、行動もなきまま時が流れてゆきました。
Hさま、澤田先生のセミナーにも来てくださいました。
神様が宿る家を本当に信頼してくださいました。
そのHさまが、会社に来られました。
ワシは、責められるか、怒られるか、打ち切られるか・・・心どきどき、胸はそわそわ
「私に協力できることがあれば、させてもらいたい」
Hさまの言葉に耳を疑いました。
「もし、全部の区画が定期借地で無理ならば、 半分、神様が宿る借家を私が建てましょう」
いい街がつくりたい、素晴らしい街を造らせていただきたい。
はらわたの底から湧き上がってきました。
世界標準の美しい街にくらそう! それがワシらの原点ですから。
「神様が宿る町」をつくりたい。
住めば住むほど元気になる、素晴らしい町を残したい!
魂の底から祈りが湧かされるのです。