赤塚高仁ブログ

僕のうしろに道はできる

2013.05.26

  腹心の友、山元加津子さん住む石川県に行ってきました。

宮ぷーが病院から来てくれました。 こんな日がくるなんて夢を見ているようでした。

宮ぷーは、ワシのアニメソングのイントロを聞いて何の曲か一発で当ててくれます。

カレーもケーキも口から食べることができます。

奇跡の復活です! 

「僕のうしろに道はできる」

上映会が、燎原の火のごとく日本中、世界に広がっています。

山もっちゃんのところを出発して、家に帰ったのは朝の4時でしたが、心は涼やかです。

 

  なんとなく、山もっちゃんとイスラエルに行ったときのことが思い出されてならないので、かっこちゃんの文章をお届けいたします。

お読みくださると嬉しいです。

こころに風が吹きますように・・・


   赤塚さんがイスラエルが大好きで、いつか、かっこちゃんとイスラエルへ行こうと
言ってくださっていて,その年の旅はイスラエルへと決まったのですが、旅の直前に
なって、イスラエルは戦争状態になりました。けれども、それでも旅の仲間の中で
キャンセルはたった一人でした。

 バラさんと出会う
 「最初にお話しておきたいことがあります。僕は相手が誰であろうと、日本で社会
的に地位が高い人であろうと、そうでなかろうと、僕にとっては相手の人はみんな一
人の人間です。だから、僕はだれに対しても対等に接したい。それが無礼に思われる
ことがあるかもしれないけれど、僕はそんな人間だということを最初にお話させてく
ださい」

 ガイドのバラさんはバスに乗ってしばらくして、そんなふうに言いました。それ
が、私たちとバラさんの出会いでした。なぜ、ことさら、最初にバラさんはそんなこ
とを言うのだろう。最初は不思議に感じたバラさんの言葉でしたが、すぐにそれは、
バラさんが、誰に対しても、一人の人間として、誠実に相手と向き合おうと考えてい
る彼の人柄で、それが彼の生きる姿勢だということに気がつくことになりました。 
 榊原茂さん、後に私たちは彼をバラさんと呼ぶようになります。
バラさんは「何でも見てやろうと思ってください。僕はその気持ちをサポートしてい
きたい」とも言ってくれました。
 バスに乗って、まもなく、てつやさんがバラさんにこんな質問をしました。
「どうして、この国の名前は『イスラエル』なんですか? イスラエルという言葉に
何か意味があるんですか?」
「おー。最初からむずかしい質問をするね」
バラさんはダビデさんにも話を聞いて、確認しながら、説明をしてくれました。
「アブラハムの孫でヤコブという人がいました。旧約聖書の創世記に出てくる人で、
ユダヤ人は全部、その人の子孫だと言われています。ある日ヤコブは神様といさかい
を起こします。たとえ相手が神様であっても、自分にとっては譲れないことであった
ので、ヤコブは戦い、そして勝利をおさめるのです。『おまえは、神様に対しても、
大事なときは向かっていくんだなあ。すごいやつだなあ。これからは、ヤコブという
名前をやめて、たとえ、相手が神であってもむかっていって戦い勝つという意味(神
に勝つ)のイスラエルを名乗りなさい』と神様に言われて、イスラエルと名乗ったの
がイスラエルの語源です」

 私はその話を聞いて不思議な気持ちがしていたのです。というのも、イスラエルに
くる途中に、赤塚さんと、”人はどうしても譲れないものがあるときは、
それを守るために、相手が誰であっても、自分の意見を述べた
り、戦ったりするものだろうか”という話をしていたところだったのです。
赤塚さんも、譲れないものはあると言いました。たとえば、会社の仲間
を思う気持ちだったり、イスラエルという国や日本という国を大切に思うという気持
ちだったり…。
 私は自分のことをぼんやりと考えていました。
 私は、怖いことや痛いことや、そして悲しいことが苦手です。もちろんそんなこと
を得意だという人なんて誰もいないと思うのですが、私は、人一倍、そういうことが
苦手なような気がします。

 小さいときから、そうでした。保育園のときに、誰かが転んで足から血を流してい
るのを見ると、かならずというほど、泣き出して、動けなくなりました。胸の奥の方
が本当に痛くて、締め付けられるような気がしました。手も足も体中がぞわぞわと不
安になり、震えました。それで、手を怪我した友達を見ると、自分で自分の親指を
そっとかんでいました。そうすると痛さがまぎれるような気がしたのです。不思議な
ことに、自分が痛いのはガマンができるのに、他の人の包帯や、怪我をしたときの話
はどうしても、ガマンができずに、目や耳をそらしてしまうのです。

 あるとき、友だちの怪我をして血を流している指を思わずくわえてしまったことが
ありました。今から考えるとその通りなのですが、保育園の先生に「そんな汚いこと
をしてはだめ。指にばい菌が入ってしまう」と叱られました。泣いていると、「けが
をしたのはあなたではないから、泣かなくていいの」と先生が言いました。泣いてい
る私を慰めてくれた言葉だったのに、私は、自分のことを恥ずかしいと感じました。
痛い話をどうにもガマンができない自分がなさけなくて、嫌だなといつしか思うよう
になっていました。
 けれども、反面、止めることのできないはげしい部分が私の体の中には確かにある
のだと思います。

 まだ、私が中学生のときでした。
今でもその情景をよく覚えています。いつも穏やかな先生が、顔を真っ赤にして、机
を頭の上にかかげていました。先生はとても怖い顔で、一人の男の子をにらみつけて
いました。私は泣きながら、「やめて、やめて!!していないって言ってる。してい
ないと言っている」と叫んで先生の腕をつかんでいました。教室がシーンとなりまし
た。先生もクラスメートも私のしたことにとても驚いたのです。
 私はどうも、とてもおとなしい子だったようなのです。同窓会があると、友だちは
「かっこちゃんってトイレも一人で行けなかったよね」と言います。そんなはずはな
いのですが、友だちはそう感じていたのだと思います。「バス停で待っているとき、
いつもいつも順番からはみ出ていって、満員バスにずっと最後まで乗れずにいたよ
ね」私の中ではあまり記憶にない部分です。

そして友だちはときどき、あの日のことを口にします。
「弱虫なはずだったのにね。かっこちゃんってあのとき、すごかったよね」
その日は集金日だったのです。一人の集金の袋が机からなくなったのです。先生が、
みんなの前で静かに、「この中に誰か、集金を盗った者がいる」と言いました。
 そこからあとのことについてはどんな状況があったのかあまりよく覚えていないの
です。私が覚えているのは、そのあと、先生が一人の男の子の胸元をつかみ、「おま
えが盗ったんだ。わかっているんだぞ」と怒鳴っていたことでした。男の子は、「し
ていない。していないよ。僕じゃない、盗っていない」と泣きそうに言いました。
 そのとき、私の心の中に、いったいどんなふうな思いがわき上がったのかはわかり
ません。気がつけば、弱虫なはずの私は、立ち上がって先生の前に立ち、「していな
いと言ってる、していないと言っている」と泣きながら、先生の腕をつかんでいまし
た。

 大学生になったころ、その男の子から手紙が来ました。「あのお金は本当は僕が
盗ったんだ。でも、信じて。もうあれから盗っていないんだよ」
そして、何年か前に、定年前のその先生に偶然お会いしました。先生はずっとそのと
きのことを覚えていたそうで、「若い自分をよく止めてくれたね」と笑っていまし
た。けれど私の心の中で、それは思い出したくない傷として残っていました。
クラスの男の子が、「おまえ、スゲェな」と言いました。「おまえって、先生に反抗
したりするんだ」と言いました。男の子はどんなふうな気持ちでその言葉を言ったの
かはわからないのです。ただ、その言葉は私の心に刺さりました。弱い自分も、そし
て、こんなふうに止められない自分も、どちらも、私は好きになれなかったのです。
そしてそれは自分自身を心から好きになれない大きな理由でもあったような気がしま
す。

私にはときどき、相手が誰であろうと止められないときがあるんだ。私の中の激しい
ものがわきあがってきて、そんなときは自分でも知らない間に、争おうとするんだと
思いました。そしてそんな心は大人になった今も、ときどき頭をもたげてきます。
イスラエルの観光バスの中で、ふと思いました。戦争というものは、譲れないものが
心にあるときに戦おうとする気持ちの延長にあるのだろうか。
その思いは私にとって、とても大きな衝撃でした。
養護学校で出会った大ちゃんは、こんな詩を作っています。

殺されるために生まれてこない 
殺すためにも生まれてこない
戦争は大事なことを忘れている

私はどんなことがあってもどんな理由があっても、戦争はあってはいけないのだと
思っていました。その気持ちはたぶん今でも変わりません。けれど、私には譲れない
ものがある。それは私自身であり、私を生かしている部分でもある。そしてその譲れ
ないもののためなら、争おうとしている私がいます。今、私は私の中にも確かにあ
る、ヤコブの血のようなものをどう考えたらいいのだろうかととまどっています。
…戦争中におとずれたイスラエルの旅の途中にその答えはみつかるでしょうか? そ
れとも、わからないままでしょうか?

 高いビルが建ち並び、りっぱなハイウェイが交差している場所をバスは進んで行き
ました。
「戦争なんてどこにもないみたい」
そう思ったときに、はっと気がついたことがありました。
 イスラエル行きの飛行機に乗るときの、厳しい、そして時にわずらわしいとさえ
思ったあの審査。あの審査があったからこそ、爆弾や危険なものが、飛行機やこの国
に持ち込まれていないんだ。あの審査のおかげで、私たちは飛行機に安心して乗り、
今も安心してバスに乗っていられるのだということでした。

 係の人が、少しも妥協せずに、入国の審査をし、トランクの中身をひっくり返して
まで中身の安全を確かめるということは、やはり、テロは日常茶飯事のように行われ
ているということでもあるかもしれないし、また、係の人がそれほど切実に、他の誰
のためでもない、自分や自分の家族や自分の国を守ろうとしているということのあら
われでもあるし、そして、それはまた、国だけでなく、入国審査を受けたトランクの
持ち主である、私たち自身、観光客の命を守るためでもあるのだということでした。
 私はときどき、目の前のことにばかりに気を取られて大切なことに少しも気がつけ
ないのだなあと思いました。ただ、怖かったり煩わしかったりするばかりで、審査が
私たちのことも守ってくれているということに少しも気がつかなかったと思いまし
た。

  イスラエルに来ると決めてから、私はずいぶん聖書に関したものを読んできたつも
りでいました。けれど、イスラエルのことについてはまったく知らなかったのです。
 いいわけをすれば、高校で理科系に進んだ私は、世界史をほとんど勉強せずに大人
になりました。けれど、それにしても、歴史や経済のことに、ほとんど興味を持たず
に大きくなって、知らないことが多すぎるのでした。

 「宇宙の約束・三五館 山本加津子著」より
 

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